人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

階段が楽に

2018年08月20日 | 日記

84歳の老婆の話。

以前は階段が苦手でしかたありませんでした。

新宿駅も東京駅(山手線)も渋谷からの銀座線なんて

階段ばかり。

端っこにエスカレーターが申し訳にある

だけですから

そこまで歩いていかなければなりません。

御茶ノ水駅も神保町駅も階段、階段・・・

ところがですね

最近、この階段が苦にならなくなったのですね。

理由はわからないのですが

呼吸法を伴う簡単ヨガを1年

こつこつと続けたからだとしか

思い当たることがないのですね。

継続は力なり。

これはもしかすると

認知症予防になっているかも。

これは「太陽礼拝」という簡単ヨガです。

老齢者の方々、お試しあれ。

 

 

 

 

 

 


子供の社会

2018年08月19日 | 日記

孫とその従姉妹たち総勢6人

わーっとやってきまして

家の中は大騒動でしたーー

みなが引き上げたあとの静寂は

またなんとも言えないものでございます・・・

子供たちを見ていると

ちゃんと社会生活が成り立っているのを感じます。

幼い子はわがままを通すことができず

ちょっと上の子に叱られ

ある子供はまったく群れずにぽつんと

しているけれど孤立ではなく・・・

一番上の子はもう独裁者みたいだけど

でも

やっぱり子供たちの群れに混じっていたいと

思っているし

こうして子供たちは練られてゆくのだと

つくづく思ったのでした。

引き換え

これが一人っ子であれば

常に相手は大人でしかないので

甘えと服従しか育たないのではと

思ったのでした。

そうです

子供は二人以上産んだほうが親は楽

ですよ。

常に子供の相手を親が務めるのは

大変だし

あまりいいことではないと思います。

従姉妹も群れて育っていく姿を見た老婆は

昔は7人だ8人だと兄妹がいたのを

思い出して

そんなに大勢の子供を育てられる社会のほうが

今よりずっと「健康」だと思ったのでした。


あの口惜しさだけは・・・

2018年08月18日 | 日記

新婚当時のころのこと

夫の実家で受けた屈辱

みんながいる食事の席で

兄嫁は「今時玉ねぎのミジン切りの切り方知らない人がいるなんてねー」

同居している舅の姉が「どうして子供ができないか、産婦人科に行って聞いたら、そんな病気もあるって」

(私、のちに二人の子供に恵まれてます)

このようにみんなの前で食事時に

屈辱的な言葉を受けていたとき

何が悔しいかって

彼女たちのことではなかったのですよ

夫です、夫。

夫はこんな言葉をそばで聞きながら知らん顔。

これが

夫逝って10年たった今も

思い出すたび

身震いするほど悔しいのです。

夫の実家にやむなく数ヶ月同居していた時のことです。

夫はついに「夫」たり得ず

「息子」であり「弟」でしかなかったのです。

日本の男性の多くはこうではないかと

今もぞっとするほどの思いでいます。

なので息子には宣言しました。

「あなたの目の前で私とあなたの妻が喧嘩したら絶対に妻の肩を持ちなさい」

とね。

でも、喧嘩するどころか

私はおヨメさんとの同居どころか

接触も長くならないよう

心がけています。

しかもお嫁さんのほうが悠々としてますねーーー

時代です・・・(笑)


敗戦国の悲しみ

2018年08月17日 | 日記

「ゆず」が靖国神社の歌を歌ったと聞きました、

そしたら非難の声が上がったと聞きました、

総理が靖国神社を参拝したら

よその国どころか国内でも

非難されるようです。

日本人は日本という国を否定している

いえ、

させられたままなのですね。

敗戦の時以来

日本はそのままの倫理観に縛られて

「平和」という「空想の世界」に生きてきました。

敗戦は日本が「平和」という幻想に生きることを

もたらしましたが

リアリストがようやく

若者たちの間にも生まれてきた気配。

けれど

日本人が日本を否定しつつ

それでもあの国のように抹殺されもせず

メディアがあれほど反日、反安倍を唱えても

かすりもしない

この日本という国が

いつまで「もつ」のか

老婆は気がかりでございます。

靖国の趣旨

戦犯の真の意味ーー勝者の側の不法行為にすぎぬーー

などを知らぬ日本人は

戦後の「民主教育」の牙城、日教組の

偉大なる功績が

もたらした鬼子としか

老婆には見えませぬ・・・

 


続く田舎暮らしの問題

2018年08月15日 | 日記

因習に縛られた田舎に入って暮らす

難しさは都会の人には想像もつかない

ものがあるようです。

それはたぶん大昔からの

「結ーゆい」とか「講ーこう」とか

呼ばれてきた固い結束の歴史のせいでしょうか。

これは冠婚葬祭その他で助け合ってきたという

分かち難い集団で

この中に組み入れてもらうなんて

まず不可能かも。

そして一旦組み入れてもらったとしても

その人がよほどの好人物かさもなければ

よほど貢献できるか

でなければ

苦しいことになりそうです。

たとえば「消防団」に率先加入して

働きを見せるとかすれば

少しはましでしょうが

消防団に消極的ならたちまち村八分。

まあ、お年よりの女性なら相当額の寄付をすれば

まあまあ暮らしやすくなるかもしれない

といった具合です。

そんな息苦しいことなんかなくて

田舎暮らしを満喫し

ゴミ出しも問題ないという人は

よほど恵まれた人と言わざるを得ませんね。

そのうち集落の「結」も「講」も希薄になってゆくでしょう

すると都会から来た人たちとの間の垣根も

どんどん低くなってゆくかもしれません。