Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

使い捨て生活意識は消滅したか

2017-05-11 23:22:41 | ひとから学ぶ

 わたしが「若者」と言われた時代とはいかなる時代だったのか、振り返るほどでもないが、過去の世の中がどう捉えられていたかを考えてみるには十分なほど、わたしも歳を重ねた。昭和53年12月23日信濃毎日新聞朝刊に「使い捨てと現代青年」という記事が掲載された。日本福祉大の那須野隆一教授の文だ。冒頭こう書き記している。「「高成長」時代から「低成長」時代へ移り変わってきたここ二十年間の世相のもとで、現代青年の生きざまをとらえる場合、その根底に流れる<使い捨て生活意識>の問題を抜きにして考えることはできない。」と。国民に広まった使い捨て意識は、「物の使い捨て」から「人の使い捨て」にまでいきついたと言い、「金の卵」ともてはやされた彼らは、自分が「金の卵」ではなく「金の卵を生む若鶏」であることに予感していたと述べる。そして「彼ら「若鶏」が「金の卵」を生まなくなったとき(つまり企業の利潤と若年労働者の賃金のバランスがくずれる年齢に達したとき)、彼らは、まだ青年期を終わりきらないある時期に、企業から排除される運命にあったのである」と述べている。そして彼らは昭和30年代にはSターン(都市浮動)、40年代にはUターン(一時帰郷)、そして50年代に至ってJターン(帰郷定着)と、ようやくふるさとを自分のものとして志向するところへたどり着いた。このことについて那須野氏は「一時代まえの若年労働者を中心とする青年の世代が、人として使い捨てられてきた体験を、まだなまなましく記憶にとどめているとき、それにつづく今日の青年の世代が、そうした人の使い捨てに極度の警戒心をもつだけでなく、反対にみずから人の使い捨てをもって世に処していこうと思いたつのは、あるいは当然のなりゆきでもあろう」と述べている。それを「人間性の回復」とも那須野氏は言う。こう結論づける「いま学校教育においても<ゆとり>という言葉の根源的な趣旨は、さきに指摘した<使い捨て生活意識>の克服と、青年世代における人間性の回復をこそ、意味するものでなければならない」と。

 思うに、これを読んだときにはきっと共感を抱いたのだろう。さもなければこの記事をスクラップするはずもない。根底にある回帰意識のようなものを、当時のわたしは持っていた。しかしながら、では周囲がそうであったのかと問われると、NOとしか答えられない。わたしの回帰意識は結果的に今日の民俗への興味につながった。しかしそんなものに価値観を抱く友人はほとんどいなかったし、わたしの世代は相変わらず高成長時代と変わっていなかったように思う。果たしてこの記事を読んで納得した「大人」はいたのだろうか。ちなみに当時のわたしはまだ10代後半。子どもと言われても仕方ない世代だった。気持ちとしては那須野氏の指摘通りであって欲しかったが、後、いつまで使い捨て生活意識は続いただろう。地方ではいまだそれは変わっていないのではないだろうか。もちろん、あの時代に比較したら嘘のような再利用時代に入っている。それだけをみれば使い捨てではない時代に入っているが、人の使い捨てはどうだろう。意識の問題ではあるが、人の意識が、そして人間性か回復したのかどうか、…。


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