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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

循環社会

2013-12-22 23:30:40 | 農村環境

 先日こんな報道がされていた。平成の市町村合併が実施されて10年を迎えようとする中、交付税が減額されていくという話。すると立ち行かなくなる自治体は合理化を図ってそれを補うというのだ。例えば支所を廃止するという自治体の例が報道されていたが、さすがに支所を廃止することによって20キロ以上も離れた市役所に行かないと用が足せないという事例は、住民が受け入れるはずもなく、廃止案は撤回されたという。そもそも合併の際にそのことは知らされていたはずなのに、10年を経過するからといってあたふたしている姿に苛立ちを抱く。いったい合併によって何を求めたのか、それは立ち行かなくなる行政の態勢を整え、来る財政難を解消するためであったはず。にもかかわらず、10年経過するからといって住民サービスを切り詰めようとする考えは、合併を選択したことの安易さばかりが印象として残る。合併せずに自立を選択してきた自治体の苦労を、そんな自治体は知るべきである。

 東京都圏に日本の人口の3割が集るという。かつて首都機能移転を目指したのは嘘のような現状である。もはや東京にすべてが集る傾向にあり、それは止まることを知らない。人口減少とあいまって地方の疲弊は予測しやすい。東京都圏以外の地域すべてが東京の補完的立場になりつつある。リニアの完成によってそれが解消されるとは思えない。むしろそれが必要なのか、と問いたいほど東京と他方を結ぶ路線もいずれそれほどニーズの無いものになりかねない。それほど東京集中が進んだ。ところが東京といえば地震というリスクがある。もちろん東京だけのことではないものの、人口集中地域での大地震がどれほどの混乱を招くか、そこに住む人々には未知の世界である。アンバランスな日本にあって、それを助長しているのは紛れもなく国の施策である。そしてそれに誘導される地方、そんな構図が地方の住民に暮らし難さを与える、そんな循環なのである。


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