ある山村の「秋」
写真は、やはり年明けに妻が戸棚を整理していて出てきたある山村の風景である。稲の稲架が水田の曲線に沿って綺麗な波を打っていて、いかにも山村のかつての光景である。稲架については本日記でも何度となく扱ってきたもので、このページのキーワードにもなる。なぜそれほど扱ってきたかといえば、自称「稲架掛けのプロ」と思っているからだ。とりわけ稲架掛けが無くなってきた今なら、一層わたしの稲架掛けはご覧いただければ見事なものだろう。誰も真似はできない、などと思っている。それほどだからこの日記でも何度か扱ってきた。
この写真は平成10年の秋に撮ったもの。したがっておよそ26年前のもの。山間地だから、現在の光景と異なる。この当時は真ん中の農道の左側の小さな水田にも稲がちゃんと耕作されていた。現在この農道の左側に見えている水田は、すべて耕作されていない。また右側の水田も手前の大きな水田は耕作されておらず、その下の水田がかろうじて耕作されていて、あとはずっと下の方まで耕作放棄されていて、草刈もされない水田もある。ようはこのような稲架の波は、無くなって久しい。
この空間を含めて近在の水田の現状を最近図化した。それが下記に示した図である。この図の範囲には水田がかつて12.5ヘクタールほどあった。平成10年には既に奥まった山間にあった水田は耕作されていなかったが、この写真のような里の水田もいまや耕作放棄されている所が多く、現在も水稲が耕作されているのは4.3ヘクタール、34パーセントにとどまる。さらに耕作放棄地となっているのは、6.3ヘクタールと、半数に上る。図の「西洞」と表示されている場所はほ場整備がされていて、まだ耕作放棄される水田は少ないが、それ以外の水田は未整備である。不思議なことなのだが、このある山間の地域を持つ自治体の水田の基盤整備率は96パーセントにものぼる。未整備の水田面積は自治体全体で6ヘクタールしかない。水田とみなされている面積がこの範囲にどの程度あるか不明であるが、公表されている基盤整備率が「怪しい」と思うのがわたしだけだったら、この世には嘘を信じる人ばかりということになる。よく中山間の耕作地の維持が話題になるが、現実は惨憺たるものなのだ。この写真のエリアは山奥と言う山奥でもなく、そして周囲には集落もある。にもかかわらずこのような状況なのだ。
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