テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



一昨日、西武百貨店池袋店の会場で私の演奏の直後に竹内先生から受けた質問。

あがっていて記憶があいまいだが、そう聞かれた私の答えは、「誰がやっても音は出るし、音階をなぞるくらいのところまでは、そう難しくもない。けれどもやっていくうちに難しさが出てくる。そんな、やさしいようで難しいところ。」というようなことであった。
つまらない答えである。
もうちょっと気の利いた答えはできなかったのか。後を引き取った先生にちゃんと話を膨らませていただいたので、お客様も、なんとなくフムフムというような顔になっておられた(?)が、私の答えだけだと、「それの何が楽しいの?。」Miles Davisに言わせれば「So What?」である。

いっそのこと、「やさしいようで、むずかしいようで、やさしいようで、むずかしいようで、、、、、、」を10回くらい繰り返し、「・・・あー、もうなんだかわかんなくなっちゃった。ジャンガ、ジャンガ、ジャンガジャンガジャ~ン」とアンガールズのようになってみたほうが観客をあっけにとることができて、よかったかもしれない。(いわゆるドン引き状態になったであろうが)

そこで、もう一遍考え直してみた。何が楽しいのか。

基本的には歌を歌おうが、どんな楽器を持とうが、音楽を奏でることそのものの楽しさである。
音楽を奏でることがなぜ人間を楽しくするのか、は、きっといろんな方がいろんなところで考えたり研究したりしていると思うので、ここでは音楽を奏でることはそもそも楽しい、ということにしてしまう。

じゃあ、そのなかでテルミンに限定して「テルミンで音楽すること」の楽しさは何か、というと、、、、やっぱり、よくわからない。もちろん、楽しくてやっているのだけれど、「何が楽しいのか」うまく説明できないのはなぜだろう。
複合的に楽しみが重なっていてどれを取り出しても一面しか説明できていないようなもどかしさがあるからだろうか。

難しい楽器をコントロールしている快感なのか、本当は自分の声で歌う代わりをさせているところか、人前で演奏するときの観衆の不思議そうで真剣な目線(珍しがられることの喜び?)か、自己実現(表現)欲求の達成か、、、、、う~ん、やっぱりうまく説明、というか自分自身の感じている楽しさを表現できなくて、、ここまで読んでいただいた方に対して気まずい感じがして・・・・ジャンガ、ジャンガ・・・・・・。「ごめんなさい。出直してきます。」


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