今回の旅の第2目的は、母方の親戚を訪ねること。
母が幼い頃のことを懐かしく語る時に必ず登場する親戚の家は、
路線の一部が廃線になったけれど、その後廃線区間のうち2駅分だけだが
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運行が再開されたという全国でも例がないと話題になった路線の、
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以前の終点の駅で降りる。
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そういう経緯があるためなのか、前回来た時にはいなかった「鉄男くん」が数人、写真を撮っていた。
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駅まで車で迎えに来てもらい、30分ほど走った場所にある蕎麦屋に
昼食を予約しておいてくれた。
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有名な蕎麦打ち名人(翁 達磨 高橋氏)に師事したという人がご夫婦だけでやっている、
如何にも蕎麦屋らしいこだわりを持っていそうなお店だった。
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アクセスが不便なところで営業すること自体、
頑固な蕎麦打ち職人という目で見てしまうが、
実際、店主は頭つるつるの、無口な、強面の人だった。
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地元の人が気軽に入る蕎麦屋ではなく、
蕎麦好きがわざわざ遠くから来るようなお店のようで、
あっと言う間に予約客で満席になった。
過疎化が進むこの周辺で、この集客力はスゴイ。
蕎麦も天ぷらも美味しいのは言うまでもない。
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線路跡に並行する道路を移動しながら辺りを見渡しても、
あちこちに空き家が あって、廃線の後が風景をさらに寂しくしている。
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それでも、人々の心に懐かしい駅舎を残しておきたいという気持ちがあるのだろう、
保存されている建物は地元の人が野菜をはじめ、食品や小物などを販売するお店として使って
集いの場としているようだ。
屋根の修復費用は公的補助が出ない為、
募金活動をネットでも行っていて目標金額150万円らしい。
母も微力ながら懐かしい風景の為に寄付してきた。
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母の実家があった場所も見て来て、市内中心部に戻った。
ここでもう一人、母が会いたかった人と再会。
娘さん一家と賑やかに暮らしているおばあちゃん。
軽度の認知症があるらしいが
昔の話ならなんとか会話は成立していて
思い出を語ることは出来たようだ。
急な連絡だったにもかかわらず、快く、素早く、場を設けてくれて
夕食の膳を囲み、昔話を心行くまで出来た母は満足気だった。
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つんちゃにとって飛行機での移動は沖縄旅行で負担が大き過ぎると学習したし、
新幹線には乗せてもらえないつんちゃと一緒に
チームつんが揃って出かけることは出来なかった、
大阪・広島と巡るつんちゃ家のファミリーヒストリーの旅はひとまず完結。
春先のお天気が不安定なこの時期に、ちゃんと晴れの日を用意してくれて、
つんちゃが「行っておいでヨ」と促しているようにも感じられた、
これ以上先延ばしにすると、会いたかった人達との幸福な時間を持つ機会を逸してしまう、
絶妙なタイミングであったかもしれない。
生つんちゃは同行出来なかったけれど、
ファミリーメンバーの中心であるつん魂は
旅するときはいつも一緒に連れて行く。
おまけの1日を観光の為に設けておいた。
つん魂は、世界遺産にだって入れるのダー。
母が幼い頃のことを懐かしく語る時に必ず登場する親戚の家は、
路線の一部が廃線になったけれど、その後廃線区間のうち2駅分だけだが
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運行が再開されたという全国でも例がないと話題になった路線の、
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以前の終点の駅で降りる。
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そういう経緯があるためなのか、前回来た時にはいなかった「鉄男くん」が数人、写真を撮っていた。
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駅まで車で迎えに来てもらい、30分ほど走った場所にある蕎麦屋に
昼食を予約しておいてくれた。
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有名な蕎麦打ち名人(翁 達磨 高橋氏)に師事したという人がご夫婦だけでやっている、
如何にも蕎麦屋らしいこだわりを持っていそうなお店だった。
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アクセスが不便なところで営業すること自体、
頑固な蕎麦打ち職人という目で見てしまうが、
実際、店主は頭つるつるの、無口な、強面の人だった。
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地元の人が気軽に入る蕎麦屋ではなく、
蕎麦好きがわざわざ遠くから来るようなお店のようで、
あっと言う間に予約客で満席になった。
過疎化が進むこの周辺で、この集客力はスゴイ。
蕎麦も天ぷらも美味しいのは言うまでもない。
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線路跡に並行する道路を移動しながら辺りを見渡しても、
あちこちに空き家が あって、廃線の後が風景をさらに寂しくしている。
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それでも、人々の心に懐かしい駅舎を残しておきたいという気持ちがあるのだろう、
保存されている建物は地元の人が野菜をはじめ、食品や小物などを販売するお店として使って
集いの場としているようだ。
屋根の修復費用は公的補助が出ない為、
募金活動をネットでも行っていて目標金額150万円らしい。
母も微力ながら懐かしい風景の為に寄付してきた。
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母の実家があった場所も見て来て、市内中心部に戻った。
ここでもう一人、母が会いたかった人と再会。
娘さん一家と賑やかに暮らしているおばあちゃん。
軽度の認知症があるらしいが
昔の話ならなんとか会話は成立していて
思い出を語ることは出来たようだ。
急な連絡だったにもかかわらず、快く、素早く、場を設けてくれて
夕食の膳を囲み、昔話を心行くまで出来た母は満足気だった。
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つんちゃにとって飛行機での移動は沖縄旅行で負担が大き過ぎると学習したし、
新幹線には乗せてもらえないつんちゃと一緒に
チームつんが揃って出かけることは出来なかった、
大阪・広島と巡るつんちゃ家のファミリーヒストリーの旅はひとまず完結。
春先のお天気が不安定なこの時期に、ちゃんと晴れの日を用意してくれて、
つんちゃが「行っておいでヨ」と促しているようにも感じられた、
これ以上先延ばしにすると、会いたかった人達との幸福な時間を持つ機会を逸してしまう、
絶妙なタイミングであったかもしれない。
生つんちゃは同行出来なかったけれど、
ファミリーメンバーの中心であるつん魂は
旅するときはいつも一緒に連れて行く。
おまけの1日を観光の為に設けておいた。
つん魂は、世界遺産にだって入れるのダー。