74年前の今日、母親は国鉄横川駅の駅舎内で帰りの列車を待っていたそうじゃ。
朝まで駅で勤務してちょっと横になったその瞬間、閃光が走り、
ビックリして飛び起きようとしたところへ爆風で木造の駅舎が倒れ下敷きになった。
そんな母親を倒壊した駅舎から救い出し、背負って逃げてくれた男の人がいたらしい。
母親はその人の背中で意識が薄れる中、喉を口の中の血がポトリポトリと落ちるのを感じ
『もう助からない』と消えゆく意識の中でもハッキリ覚えていると
ワシが小さい頃、よく話してくれた。
母親の額を触ると少しへこんでいるのが分かった。
「これが、その時のキズよ」と教えてくれた。
横川駅は爆心地から直線距離でおよそ1.1km。
奇跡的に母親は助かり83歳までの命をいただいた。
母を背負って逃げてくれた男の人は被爆後1週間で亡くなったそうじゃ。
母親は寿命があったんじゃろうね?
おかげでワシら兄弟二人、孫4人、ひ孫6人は元気に暮らしておる。
朝まで駅で勤務してちょっと横になったその瞬間、閃光が走り、
ビックリして飛び起きようとしたところへ爆風で木造の駅舎が倒れ下敷きになった。
そんな母親を倒壊した駅舎から救い出し、背負って逃げてくれた男の人がいたらしい。
母親はその人の背中で意識が薄れる中、喉を口の中の血がポトリポトリと落ちるのを感じ
『もう助からない』と消えゆく意識の中でもハッキリ覚えていると
ワシが小さい頃、よく話してくれた。
母親の額を触ると少しへこんでいるのが分かった。
「これが、その時のキズよ」と教えてくれた。
横川駅は爆心地から直線距離でおよそ1.1km。
奇跡的に母親は助かり83歳までの命をいただいた。
母を背負って逃げてくれた男の人は被爆後1週間で亡くなったそうじゃ。
母親は寿命があったんじゃろうね?
おかげでワシら兄弟二人、孫4人、ひ孫6人は元気に暮らしておる。