うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

愛する読者様へ…シェー!!

2005-12-20 21:37:43 | 雑記
大掃除、なおも続行中。綿ぼこりが舞い踊る部屋でアレルギーに苦しみながらブログ書いてまーす(爆)。

今日の発掘品は「母・中3卒業間際の修学旅行にて書いた家族への手紙」。

40年近い時を越えて、今ここに蘇る母の迷文。実は母の子供時代の作文というのはほとんど現存しておりませんで、これが唯一といっていい貴重なシロモノなのであります。解読にかなりの時間を要しましたが、何とか読み通しました(笑)。読者の皆様も15歳当時の自分の文章力を思い出しつつ読んでみて下さい。なお、送り仮名や字の使い方は極力原文に忠実に再現してあります。


(表)

「家族へ(私をのこして)」
元気で(<あこがれの)京都に着きました。新幹線の乗り心地はマアマアです。エレベーターに乗っているみたいです。この手紙はオグラ旅館の三ガイの「ボタン」の間でかきました。6時3分です。オグラ旅館は古めかしくてきたないです。千代鈴はホテルできれいです。
今日は、新幹線で京都におりてからすぐ市電にのって京都御所と、そっから歩いて30分ぐらいの二(<条)城へいきました。
ほかの修学旅行生もたくさんきていました。でもみんな高校生位でした。男女共学の所が多かったです。
旅館の手すりによっかかってウェハスをたべていたら下で男女共学の生徒がぞろぞろあるいてきて「ピーピー」とやりました。おかしくなりました。みんなのぞきにきましたみん(→うらもプリーズ)

(裏)

な何んかにうえているようです。
前にかいた、二つの所へいった時は、あしがくたびれてしまいました。
二条城ではきれいな人形がありました。ろう下は「うぐいすのろうか」といってしづかに歩くたびにキュッキュッといいます。昔忍者がくるのをふせぐためです。私達といっしょに、おにいさんがお母さんらしいおばあさんと、弟らしい男の子をつれて京都弁でいっしょうけんめい説明していました。お姉ちゃんとお母さんも来ればいいなと思いました。はれたり雨になったりへんな天気です。京都タワーはよくありませんでした。

追伸
Wid君を見ました。(くわしい事はのちほど。聞きたくなければケッコウ)
愛する家族様へ シェー
元気な○○より

「逃亡者」と「柔道水滸伝」のていきょうのかい社の所をおりました。ライオンゆし


自分で読んでて「アタシってホントにバカだわ」と涙を流して爆笑する母。15歳の割にひらがなが異様に多いし(漢字が書けない)、一部脱字して後から書き加えてるし、追伸の「Wid君」は書いた本人が「誰だったかわからない」とか言っちゃってるし、「ライオンゆし」(ライオン油脂。現在のライオン)の話は唐突すぎるし、結論として何が言いたいのかさっぱりわからないし、「愛する家族様へ シェー」って、ご丁寧にイヤミの決めポーズの絵まで…当時「シェー」が爆発的に流行っていたのは知っているが、ここで使うか。まぁ、それでこそ私の母だが(笑)。

親子で笑い転げたのだが、もう一枚ひらりと紙が出てきた。京都タワーを描こうとして失敗したらしいイラストの横に「新線」と書いてある。どうも、いきなり書き間違えてボツにしたらしい。母、当時15歳…!

母は、さんざん笑い倒した挙げ句、ビリビリに破いて捨てた…。