ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

千種姫の塚(足利尊氏の妹)

2018-03-13 | 石仏

千種姫の塚

時代は南北朝。後醍醐天皇の政治は、天皇・貴族を中心とする政治であった。貴族や社寺の保護に厚く、武士の恩賞や要望に応えることが薄く、武士層に大きな不満と失望を与えた。こうした政治情勢を背景に諸国の武士たちは建武の政治を打倒しようと立ち上がる。中心となったのが足利尊氏である。
尊氏は鎌倉幕府に反旗をひるがえし、新田義貞軍勢と戦う。尊氏、京都の石清水に陣を取るがこの戦いに敗れ、新田義貞軍勢に追われ京都を離れる…九州へと。その途中、丹波園部若森の地に千種姫(尊氏の妹)を残していく。若森の一宇(寺)で千種姫は兄(尊氏)の武運を祈り続けた。
尊氏再度、軍勢を立て直し京に攻め入り、…後に征夷大将軍となる。
丹波の地に残した千種姫の安否、生活が気にかかる。寺は戦火で荒れ果てていた。尊氏は一宇を立て直し、寺の名を「天下泰平・萬民普済」の為とし、『太平山普済寺』(臨済宗)に改めた。
本堂前から少し離れた別墓地内の小高い所に、伝千種姫がねむる塚(墓)がある。姫を偲ぶのには格好の場所であろう。
総高約85㌢、搭は「地・水・火・風・空」で構成された五輪塔である。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。