ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

春日神社の石灯籠 園部口入

2020-02-13 | 石仏
園部町口入(くちうど)の石灯籠
園部町口入は明治9年(1876)に中口入と下口入が合併して「口入(くちうど)」となる。
ここ中口入に春日神社が鎮座する。湯釜につづき石灯籠を紹介します。
湯釜の右に『春日大明神 御宝前』『宝永七年庚寅九月吉日』『當村願主』『□之年女』『丹州船井郡中口入』、左に『春日大明神御宝前』『享保八癸卯十一月吉日 氏子中 中口人』がそれぞれ陰刻する。花崗岩製の閃緑岩の石を使っているが、一部、風化が進み判読不可の箇所もある…。造られて300年前程経過する石灯籠、丹州船井郡の中口入の願主である、その歳の年女が建立したようですね。
※宝永七年(1710 庚寅) ※享保八年(1723 癸卯)

(石灯籠の文字は旧字体が使われていますが、トライアル…解読を!)

湯釜 園部町口入

2020-02-12 | 神社仏閣
春日神社の湯釜 (園部町口入)
春日神社の拝殿前に石の釜【湯釜】が置かれている。いつ頃、造られたものなのか…詳細は? 今後の課題としたい。
神社の湯立神事は口入の大切な行事であったと思われます。
湯釜に湯を沸かし、塩・酒を入れ清めた後、熊の笹をつけて宮司祓詞(ぐうじはらえのことば)を奏上(そうじょう)し、湯を氏子たちに振りまく。その湯を浴びると一切の邪気を払い、悪疫の流行を防ぐという。宮のトウ(頭)と呼ぶ頭屋制でおこなっていたようです。
この神事は、もともと役行者【修験系】の神事からきていると言われている。
 明治新政府のもと、明治元年(1868)神仏判然令 (神仏分離令、廃仏毀釈)が出され、この時、地方官から湯立の廃止をするようにと…。このような歴史をもつ。この湯釜は当時の様子を知る貴重な文化財資料でもある。(ここに紹介した湯釜の神事は一般的なものです)
令和の今、全国各地で山間の自治組織として伝承を守り続けている所も多くなってきた…。
<湯釜>
<春日神社の鳥居>

普済寺の梵鐘 (黄地の梵鐘)

2020-02-11 | 神社仏閣
普済寺の梵鐘の歴史
行く足は春、吉は園部町若森にあり『普済寺の梵鐘』の妙音を響かせたい!
往昔、宝暦十一年(1761)、寺の楼門(ろうもん)に梵鐘(ぼんしょう)から、若森の郷に妙音(みょうおん)を響かせていた…。
昭和十七年の大東亜戦時に政府が金属回収令を出す。この時、梵鐘(釣り鐘)の供出(応召の鐘)となる。…その後、昭和三十九年秋に機が熟し再鋳された。今回は梵鐘の陽鋳文字の悉皆調査をする。


<楼門に梵鐘(釣鐘)が…。妙音を響かせたい!>
<撞座(しょうざ)の上、縦帯の中央に陽鋳文字で『大慈山 普済寺』の銘>
<縦帯の中央に『滋賀県愛知郡湖東町 鋳匠 黄地佐平 謹鋳』の銘>(鋳物師は黄地(おうち)佐平で、黄地の梵鐘として有名である)

<池の間には『天女が舞う』 黄地佐平の作品には天女がよく出てきます、艶めかしいのが特徴。天女の舞う梵鐘を見かけたら、鋳造者に注意!>

<縦帯の中央に『南無釈迦牟尼佛』>

<縦帯の中央に『昭和三十九年秋』に鋳造、機は熟した年>

<池の間に『大慈□響 普十方 悟道明心 大平鐘 十七世現□ 天真正順謹鋳 大慈山 普済寺』の銘>

<池の間に『當初宝暦十一年鋳造の梵鐘ありし事 昭和十七年大東亜戦に供出して 暫時鐘繋を聴く能わざりし事 今回機熟して檀信徒喜拾に依り 位牌當の建立と共に本梵鐘を…』再鋳された旨が銘が刻まれる>


普済寺・観音堂のご詠歌 園部町若森

2020-02-10 | 丹波郡33ケ寺巡り

普済寺・千種姫が眠る…観音堂ご詠歌
この観音堂に掲げられている詠歌を解読するのに…長い時間(半年?)を要したが、やっと紹介できるまでにこぎつけた。私にとっては超難解な代物であった。
『みなかみは 流れをここに 普済寺の これぞひぶせの 地蔵なりけり』
このご詠歌は観音堂ひぶせのお地蔵さんの歌と言われています。
観音堂正面上、ご詠歌『大慈山 民をあまねく すくふなる 御寺ふりにし 雨乞が嶽』に並んで掲げられている。(これは以前に紹介済み)
今回の地蔵の詠歌は一部文字が消え、くずし字で書かれている。前後の文意・文脈で読み解くのが古文書の極意とか!…。古文書歴10年程度では…まだ歯が立たないネ。助っ人を頼み解読できました。



『みなかみは 流れをここに 普済寺の これぞひぶせの 地蔵なりけり』


『大慈山 弐二番 普済寺』
『大慈山 民をあまねく すくふなる 御寺ふりにし 雨乞が嶽』

最福寺の大屋根 園部町埴生

2020-02-10 | 神社仏閣

最福寺の大屋根
歩く楽しさ、歴史・自然の出会いを求めて歩いている。いつも寺の大屋根に見とれ足が止まる。
重厚感・荘厳さ・凹凸の流線美が…屋根瓦の匠の技が堪能できる…最福寺(曹洞宗)
本寺の屋根は日本古来の『本瓦葺き』工法で葺かれています。平瓦と丸瓦が交互に組み合わせて並べる工法です。棟の両端には鬼瓦が付いている。
屋根の棟(上部)、熨斗瓦(のしがわら)に最福寺と付く、よく見ないと見落としてしまう。

本瓦葺きは飛鳥時代に中国、朝鮮から仏教文化とともに伝来しています。
日本各地に焼き窯は点在するが、京都における瓦製造歴史は古く、東山山麓で焼かれた歴史があります。すでに一千年以上前になる。
庶民の屋根に瓦が使われだしたのは江戸時代(近世)に入ってからですが…一般に板屋根葺き、草屋根葺きが多かったようですね。(ちょっと屋根の雑学に寄り道)