西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

U子と夕陽と芸大坂

2012年10月29日 11時50分00秒 | 小説
「アタシ、坂下りたいな…」

 U子の虚ろな視線は、既に芸大坂の方向を向いていた。

 壁に『南河内芸術大学』という文字の入った11号館の校舎をバックに、同級生の女5人で集合写真を撮った後、スクールバス乗り場から懐かしの学び舎を後にするべく、いざバスに乗り込もうとした時のことであった。


 小高い丘の上に建つ大学は、正門を入ってすぐに急な坂道がある。昔の学生たちは坂の下でスクールバスを降りた後、皆自力で歩いてこの坂を上り登校していた。そしてこの坂はいつしか学生の間で「芸大坂」と呼ばれるようになり、芸術を中心に学びいささか運動不足の学生たちにとっての難所であり、また大学の象徴的な場所でもあった。

 その思い出深い坂道を、さっきバスに乗ったままいとも簡単に上ってきてしまったことが、U子には少し許せなかった。後輩Kのガイドで30年振りの母校を満喫したU子だったが、ひとつだけ心残りに感じていたのが、この芸大坂。大学時代の4年間、毎日歩いて上り、毎日歩いて下りていた芸大坂を、バスで乗って上るのではなく、あの学生時代の日々と同じように、やはり自力で体感したかった。

「え? ホントに行くの? 宴会間に合わなくなるよ。先バス乗って行っちゃうよ!」

 ちょっと呆れた表情でやや冷たい言葉を投げかける仲間たちを尻目に、U子は足早に芸大坂へと歩を進めた。

「私も行きたい!!」

 ひときわ元気な声で、Y江が後に続く。

「じゃあ行きますか?」

 後輩Kも2人に並んだ。
 すかさずY江がU子を気遣う。

「けど大丈夫!?」
「大丈夫だよ。だって毎日上り下りしてたんだから!」

 弾んだ声で、U子が答えた。

「変わってないよね、この坂」

 弾んだU子の声とは対照的に、後輩Kが淡々とした口調で解説する。

「こっち側に歩道が出来たんですよ。昔はほらそこの右側にある石垣みたいなのの上を歩いてたでしょ」
「そうか~、歩道が出来た分広くなったんだ~!」

 変わらずテンションの高いU子。
 それよりもなおテンションの高い声で、Y江が続ける。

「あ、この木あったよね!!」

 1本だけ坂道にせり出している木を指さして言ったY江の言葉に、半ば上の空で携帯を開きパシャリパシャリと写メを撮り続けるU子。

「…うん、あった、よね…」

 と、生返事で答えるU子。
 先輩2人の噛み合わないやりとりを見て、後輩Kがカラカラと笑う。そして坂を下りた所で、Kは蘊蓄話をひとつ。

「バスが坂を上るようになった当初、慣れない運転手が、バスを門柱に激突させてしまったという、ちょっとした事故もあったんですよ」

「Sマンション見えるかな?」

 せっかくの蘊蓄話よりも、かつて自分の住んでいたマンションが気になっている先輩の態度にめげることなく、Kは遠くを指さしながら言う。

「あれです。あそこに、屋根が煤ボケた緑に見える、あのマンションがそうですよ。たぶんその後オーナーさんが変わったんでしょう、今は別の名前の建物になってます。不動産屋のホームページ見たら、月3万8千円て出てましたよ。ええ、学生だけじゃなくて一般の人も住めるみたいですね」

 無理にでも蘊蓄話で押し通そうとガイドする後輩K。
 さて戻りましょうかと、一度出た正門を再び入る3人。

「え? どこ? どこの門柱にぶつかったって? あれ? へえ、なるほど段差があって難しそうだもんね!!」

 Y江のワンテンポもツーテンポも遅れた相変わらずの反応に、軽いめまいを感じる後輩K。
 改めて3人で坂を上り始めたところで、背中越しに広がる鮮やかな夕景にふと気付く。振り返り立ち止まって真っ赤な夕陽を写メに収めようと、U子がまた携帯を開いた。

「あのクレーン、ちょっと邪魔だよね」





 工事現場と思しき場所にあるクレーン車のアームが、丁度PLの塔に迫るようなシルエットに見える。

「うん、やっぱりあの木あったよ!!」
「うんうん、あったあった。私も確かあったと思うよ!」

 相変わらず坂道にはみ出した1本の木にこだわるY江と、写メを撮りまくりながら歩くU子とのやり取りが、やはりどことなく噛み合わない。

「最近のオープンキャンパスで見学に来た子の中には『あんな坂嫌だ』とか何とか言って、受験しに来ない高校生もいるらしいですよ」

 と、後輩Kがまた蘊蓄を垂れる。

「そんなに大した坂じゃないじゃない! 全然しんどくなかったよ!」

 U子の言葉に3人で頷きながら芸大坂を上りきり、すぐバス停に向かうと「先行っちゃうよ」って言っていた他の4人が待っていてくれた。

「ごめんね、有り難う!」
「どうだった? 満足? 納得した?」

 そんな言葉と笑顔を交わしながら、満員のバスに飛び乗る7人。早速、車内の吊皮や手すりに必死にしがみつく7人。


 後輩である若い現役学生らに混じって、50を過ぎた6人のオバサンと1人のオジサンとそれぞれの思い出を乗せたスクールバスは、滑るように芸大坂を駆け下り「南河内芸大前」と記された交差点を大きく右折した後、一路、喜志駅を目指しそのスピードを上げていった。



(文中の敬称は略させていただきました)
(これは、実際にあった出来事を基に創作した、フィクションです)

北校舎 26

2006年02月12日 23時05分00秒 | 小説
 教室に戻った浩人は、ゆっくりと、そして深々と、自分の席に腰を下ろした。そうして少しずつ、自分の胸が熱くなってくるのを感じていた。白川先生は、一人一人を教卓の前に呼び出し、式の際に貰った卒業証書を収める緑色の筒を「おめでとう」の言葉を添えて手渡し、その一人一人と握手を交わした。皆一様に照れ臭そうに握手をした。白川先生の手は分厚く、顔と同じく皺だらけの割には、つやつやしていた。ただそれよりも浩人が気になったのは、先生の髪の毛が一学期の頃と比べて、少し薄くなったように感じられたことだった。確かに、浩人にとっても大変な一年ではあった。しかし四十人分もの大変を背負ってきた白川先生の苦労は、浩人ら生徒には計り知れるものではない。白川先生の髪の毛の間に透ける地肌を見て、浩人の胸はなお熱くなった。
 全員との握手を終えて白川先生は、皆にお祝いと餞(はなむけ)の言葉をくれた。が、申し訳ないことに、浩人はその言葉をほとんど憶えていない。
「ありがとうございました、白川先生。ありがとう、大宅君……」
 握手の後、心の中でずっとそう呟き続けていた浩人には、先生の言葉が聞こえなかった。
 語ることはすべて語った。そんな清々しい表情で、白川先生は教卓を整え、皆にも机を整えるよう促した。そして先生は、この日まで化けて出てくるなんぞということもなく、ずっと教室の前で皆を見守ってくれていた大宅の遺影を片付け、その脇に飾られていた花瓶に手をやった。
「この花は、この人にあげたいねん」
 そう言って先生は、大宅の遺影に手向けてあった一輪の真赤なカーネーションを、浩人に手渡した。それは白川先生からの、そして大宅からの、最高の祝福の印であった。
「起立! 礼!」
 学級委員の最後の号令とともに、最後の挨拶をした。教室の所々には、啜り泣いている女子が何人かいた。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
 白川先生に、大宅に、皆に、そして机に、椅子に、教室に、この一年に……。浩人は「ありがとう」の言葉を繰り返し呟きながら、名残惜しいその教室を出た。

 北校舎から正門までの中庭には、先生方と後輩達によって、短い花道ができていた。
「おめでとう。よう頑張ったな。元気で……」
 卒業を祝う言葉と拍手のアーチを潜って、浩人は正門を出た。そして振り返り、その日も相変わらず煤ぼけた色をした北校舎に、もういちど「ありがとう」の言葉を捧げた。
 照れ臭そうに笑みを浮かべた浩人が、その手に緑色の筒と真赤なカーネーションを握りしめ、ぼろぼろの木橋を西へ渡った頃、暖かい春の太陽は、まだ南南東の空にあった。

(完)


私の処女小説『北校舎』は、今回にて完結致します。
またこれにて既存の拙作は、すべてご紹介を終えたことになります。
長らくのご愛読、誠に感謝申し上げます。ありがとうございました。

著者 河村 宏正

北校舎 25

2006年02月11日 23時38分01秒 | 小説
「俺でも風邪ひいてへんのに、何でお前らが風邪ひかなあかんねん」
 これは受験シーズンを直前に控え、風邪による欠席者が増え、危うく学級閉鎖になりかけた時の浩人の台詞である。友達と話をするのも面白い。スポーツをするのも勉強をするのも、数学だって面白い。こんな面白い学校を休むなんて損だ。自分は今まで、何て勿体ないことをしてきたんだろう……。浩人は、そこまで思えるようになっていた。それに浩人は風邪もひいていない。病弱だったはずの浩人が、これだけ風邪が流行っているにも拘らず、何ともなかった。三学期、浩人は学校をほとんど休まなかった。休んだのは、私立高校の受験に失敗し、やけ酒に梅酒を飲み過ぎて、泣いて泣いて泣き明かし、目が腫れあがったその顔が余りにも醜く、格好悪かったので休んだ、ただその一日だけだった。
 固く閉ざされていた多くの扉が、すべて開いたような気分だった。だがしかし、気が付けば一年は短かった。せっかく開いたどの扉にも、深く入って行く時間がなかった。もっと勉強もしたかったし、友達ももっとたくさん作ってもっと遊びたかった。できれば恋もしたかった。そういったことにやや欲求不満を残しつつも、浩人はそれから間もなく、卒業の日を迎えることになった。

 講堂で行われた卒業式は、浩人にとって、余り感動的なものにはならなかった。半月ほど前から、毎日のように予行演習をやらされていると、本番の日にはもう気分は冷めてしまっていて、感動もへったくれもありはしない。それに一度受験に失敗し、まだ進路が決まっていない浩人としては、次に受ける入試のことで、頭がいっぱいだった。それでも一筋縄ではいかなかった卒業なのだから、感極まって泣いてしまうんじゃないかなとも思っていたが、やはり涙は出なかった。そんな型通りの卒業式よりも、その後の教室での数分間の方が、浩人には忘れることができない。

(続く)


『北校舎』は、次回で完結します。

北校舎 24

2006年02月10日 21時15分00秒 | 小説
 最終章


 冬休みは永かった。慌ただしい年末年始の二週間を、これほど永く感じたことはなかった。三学期が待ち遠しく思った。しかし一方で、三週間余り後に迫る高校受験が、重くのしかかってもきていた。三学期に入ると、さすがに教室にも、受験への緊張感が漂い始めた。
 朝、浩人は白い息を吐きながら、北校舎の階段を一気に三階まで駆け上がった。そしていつも通り三年二組の教室の扉に手を掛けようとした時、全身がぴくり、として固まった。廊下から教室の中を覗くと、窓の薄っぺらな板ガラスの向こうに、何人か人が見えた。大勢の生徒がいる。まだストーブに火も入っていない寒い寒い教室には、音もなく声もなく、二十人ほどの生徒が机の上のプリントに向かっていた。よく見ると黒板の前には、裾の長い白衣を着た数学の里村先生がいた。生徒の顔ぶれも、二組の者だけではなく、見馴れない他のクラスの生徒もいる。受験対策に数学の特別授業が、早朝から行われていたのだ。浩人は数学が大の苦手で大嫌いだったから、そんな授業が始まっていたなんてことを、気にも留めていなかった。それにしても、思わぬ閉め出しをくらってしまった形になった。
「よりによって、二組の教室使わんでもええやないか」
 特別授業が終わるまで、浩人は廊下に突っ立って、ブツブツぼやきながら待った。授業の後、誰かの尻に温められた椅子に座るのは、どうも気色のいいものではなかった。
 そういう朝が何日か続いた。その何日目の朝であったか、やはり浩人が廊下に突っ立って、特別授業が終わるのを待っていると、教室から里村先生が出てきた。
「君もやってみるか」と、先生は数字や放物線ばかり書かれた、プリントを差し出した。「え……、いや、僕はいいです」と拒む浩人の背中を軽く叩きながら「ほれ、ええがな、まあそう言わんとやってみいな、ほれほれ……」と、里村先生は浩人をせき立てるように教室に招き入れた。特別授業は、受験対策に本格的に勉強したい者だけが受ける為の授業であって、自分のような数学劣等性が受ける為の、補習授業ではないのに……と浩人は思った。教室では何か場違いな感じで、自分だけが浮いているようにも思った。
 しかしそんな数学音痴の浩人にも、里村先生は優しかった。机の上に置かれた数字だらけのプリントを前に、ただ茫然と頭を抱えていた浩人に、里村先生は、懇切丁寧(こんせつていねい)に教えてくれた。それはまるで、猿にものを教えるようであった。浩人は内心少々情けなく、恥ずかしくもあったが、同時に里村先生には有難く、嬉しかった。それから浩人は、自ら率先して出席した。毎日朝早く、この特別授業に出席する内に、それまで皆目解らなかった因数分解の問題が、やがて解けるようになった。複雑な問題は、さすがに手に負えなかったが、それでも浩人には、画期的な進歩であった。

(続く)

北校舎 23

2006年02月09日 21時04分00秒 | 小説
 香川克利は、一学期のあの終業式の日に、大宅と大喧嘩をした奴である。その直後の夏休みに大宅が死んで、香川と大宅は、文字通りの喧嘩別れとなってしまった。香川にしてみれば、さぞ後味の悪いことだったであろう。その香川とも、浩人は仲良くなった。切れ長の眼光鋭い目で、大宅に殴り掛かっていく香川を見た時の印象から、浩人は香川のことを、相当野蛮なワルかと思っていた。が、実際付き合ってみると、単なるやんちゃ坊主であったことが判った。香川は浩人のことを「栗栖君」と呼ぶ。君付け派の中でも、妙に馴れ馴れしく、いつの間にか浩人を兄のように慕っていたし、浩人もそんな香川を弟のように思っていた。そして香川もまた、大のクルマ好きであった。
 その香川が、一度盗みを働いた。校内に駐車してあったスカイラインの、ヘッドライトの横に付けられていた<GTR>のエンブレムを盗んだ。スカイラインの持ち主は、大黒先生であった。浩人は勿論、共犯者ではない。しかし大黒先生の困惑する顔を想像すると、浩人は盗人香川を責める気にはならず、むしろ褒めてやりたい気もした。だが、悪事はそうそう旨くはいかない。香川の盗みはすぐに見付かり、大黒、白川両先生から、後で大目玉を食らうことになってしまった。

(続く)

北校舎 22

2006年02月08日 16時42分00秒 | 小説
 ひと通り掃除を終えて、教室の後ろの隅にある、細長く背の高い用具入れのロッカーに箒を仕舞おうとしていた時、「あ、栗栖や」という声が聞こえた。自分の名前を聞いて、はて何のことだろうかとロッカーの扉を閉めて振り返ると、教室の一角に十人ぐらいの輪ができていた。輪の中心には、鶴見健治(つるみけんじ)がいた。鶴見は陸上部のスプリンター。二学期に入って引退したばかりで、スポーツ刈りの髪の毛はまだ伸びきっていない。格好のいいスポーツマンタイプではないが、三枚目の面白さを持った、さわやかな奴である。ちなみに鶴見は、呼び捨て派であった。
 浩人がその輪に近寄ると、鶴見を取り巻いていた何人かの女子が、どことなく気まずい笑みを浮かべながら、浩人に道をあけた。鶴見の手には、卒業アルバムがあった。鮮やかな青い表紙に、金色の「75」の文字が光る。今年のものだ。だれかが兄姉(きょうだい)か先輩から、借りてきたものらしかった。
「ほれ、ここに栗栖載ってるわ……」
 鶴見は、浩人にアルバムを差し向けた。覗き込んで見たページには、集合写真があった。真ん中最前列にどっかと座る大黒先生の大きな体が、やけに目立つ。三年八組の写真だった。そして鶴見は、大黒先生と並んで写っている、生徒達の最後列のなお上の、背景に見える講堂の壁の右隅にポツンと浮かぶ、風船のような丸いものを指さした。その丸の中に浩人がいた。この写真がいつ撮られたのか、浩人は知らなかった。浩人の知らない間にこの写真は撮られ、浩人の顔は知らない内に風船の中で浮かんでいた。長く長く欠席していたのだから、知らされていなくても仕方がないだろう。でも浩人には、それがなぜかショックだった。
「……ふ~ん」
 それしか言葉は出てこなかった。そして次の瞬間、急に胸が締め付けられるように苦しくなった。その胸の苦しみは、去年悩まされた原因不明のあの胸の苦しみと、全く同じ苦しみであった。不明だった原因が、やっとその時、判ったような気がした。
 家に帰った浩人は、改めて過去と訣別できたことを喜んだ。もう苦しくはない。そしてこの同じ頃、父長保も退院した。浩人の周辺とその前途は急激に明るさを増し、晴れ晴れした気分であった。

(続く)

北校舎 21

2006年02月07日 22時45分00秒 | 小説
 十一月初めの、ある日の放課後。その日の掃除当番だった浩人は、箒を持って教室の床を掃いていた。するとしばらくして、その箒を浩人の手から奪い取った女子がいた。牛場陽子(うしばようこ)である。牛場は同じクラスの女子といるより、隣のクラス、一組の中臣道子(なかとみみちこ)と特によく一緒にいた。中臣は、浩人の家のすぐ近くにある魚屋の娘で、いまでこそ浩人と言葉を交わすこともなくなったが、幼い頃一緒に遊んでいる写真が、浩人のアルバムにはある。実はひと月ほど前にも、中臣は浩人に学生服を借りていた。体育祭で応援団に駆り出された中臣は、扮装として着る、男物の学生服の調達に困ったあげく、近所のよしみを頼って、自分の母親から浩人の母親を通じて、浩人の古い学生服を借りたという経緯もある。その中臣の親友が牛場である。
 どうやらその牛場は、箒の使い方が下手な浩人を見るに見兼ねていたらしい。浩人に近寄ってきていきなり「貸してください」と言って箒を自分の物にした。何か怒っているのだろうか?、とも思った浩人であったが、牛場の表情は、そのようには見えなかった。彼女は慣れた手つきでサササッと床を掃くと「お願いします」と言って、掃除の為に一旦教室の後方に引き下げられた机のひとつを、元の位置に運んでくれるよう、浩人に促した。まるで「箒を持つのは私の仕事、机を持つのはあなたの仕事」とでも言われてこき使われているような気もしたが、また「お願いします」「ハイッ」「お願いします」「ホイッ」と続けていると、牛場も楽しそうに見えたし、何となく、浩人も楽しい気分になった。少なくとも、男同士で向かい合って弁当を食うことよりもよほど楽しかった。が、残念ながら牛場の真意は、浩人にはその後も判らなかった。

(続く)

北校舎 20

2006年02月06日 17時48分00秒 | 小説
 加頭は、亡くなった大宅と同じ団地に住んでいて、大宅とは幼なじみ。もう一人の浜口は、医者の息子である。ちなみに後に判ったことであるが、この浜口の姉は、浩人の兄、満保と同級生であったらしい。加頭も浜口も性格は明るいが、真面目タイプでやや大人しいめのグループに属しており、浩人もやがて、自然とこのグループに属すことになっていった。
 学校へ行くのが楽しみになった。早退するのが勿体なくなって、午後からの授業も出るようになった。昼休みに独りで弁当を食べていると、加頭が寄ってきて「一緒に食べよう」と言う。浩人は、そんな遠足やオママゴトみたいなことはしたくもなかった。だが加頭は、嫌がる浩人の机を無理やり皆の所へ引き摺っていった。男同士五、六人で向かい合って飯を食うなんて、何か気持ちが悪かった。けど、新しく親しい仲間ができた実感は、本当に気分が良かった。
 友達とは話をするだけでなく、体も動かした。机を二つくっ付けた即席の卓球台と、素手のラケットで卓球もした。グラウンドに出て、サッカーもした。体が弱いのが原因で留年をしたと聞いていた皆は、スポーツする浩人に驚いていた。中でも一番驚いたのは白川先生だった。
「えっ。栗栖君がサッカーしてるか? 大丈夫なんかいな?」
 目を丸く、びっくりして大きな声をあげた先生に、浩人は平気な顔で頷(うなず)いた。なおもグラウンドを走り回る浩人を見ながら、白川先生は一度丸くした目を今度は細め、また顔を皺だらけにして笑った。

 加頭や浜口ら近しい友達は、浩人のことを「栗栖君」と、君付けで呼んだ。他の連中は「栗栖」と呼び捨てにした。初めの内はこの連中の呼び捨てに、ムッとしたこともあった浩人であったが、自分はもう彼らの先輩ではなく、同輩になったんだと思えば、腹も立たなくなり、距離感のない敬称略は、むしろ嬉しくもあった。

(続く)

北校舎 19

2006年02月05日 17時27分00秒 | 小説
 浩人の大好きなもののひとつに、自動車のレースがあった。それもこの年の十月には、世界最高峰のF1(エフワン)と呼ばれるレーシングカーによる世界選手権シリーズの一戦が、史上初めて日本で開催されることになっていて、非常に楽しみにしていた。
 十月初めのある日。朝一番に教室に入った浩人は、教科書の間に忍ばせてあった、自動車雑誌のF1特集号を学生カバンから出した。浩人は、それまでも朝一番に登校することが多かった。席に着いてから授業が始まるまでだいぶ時間はあるし、それにどうせ話をする友達もいなかったから、ヒマつぶしにでも読もうと、たまたまその日はその本を持ってきていた。
 朝二番目に教室に姿を見せたのは、高市直彦(たかいちなおひこ)であった。無言で、ちらりと横目で浩人を見ながら、教室に入ってきた。浩人は自分の机の上の本をカバンに仕舞おうかと思って、考えた。高市は悪い奴ではない。本人は粋がるようにツッパリのポーズは見せているものの、余り格好よく決まってはいない。不良グループにも真面目グループにも、どちらにも属しているようで属していないし、かといって一匹狼、と呼べるほどの存在感もない。一種独特の浮いた奴だった。浩人はここ数週間で、皆の名前や顔を憶えるだけに飽き足らず、一人一人の性格や交友関係などを、外見で判る範囲とはいえ、かなり詳細にチェックし、ある程度認識していた。こいつなら人畜無害、大丈夫だ。よし、網を張ってやろう。と、浩人がそのまま平然とF1特集号を開いていると、高市はスルスルと網に引き寄せられるように浩人に近寄ってきて、一言こう言った。
「クルマに興味持ってはるのん?」
 何ともあっけなく、すんなり網に掛かってきた高市の第一声は、「……持ってはる……」なんぞという、妙な敬語だった。
「うん、もうすぐ富士スピードウェイでF1のレースがあるんでな……」
 初めての会話であった。教室での会話というのは、ほぼ一年ぶりであった。浩人は堰(せき)を切ったように話続けた。自分はこんなにお喋りな奴だったのか、と驚くほどよく喋った。やがてそこに加頭貴秀(かとうたかひで)や浜口猛(はまぐちたけし)、それに香川も加わって、なおも会話は盛り上がった。折からのスーパーカーブームも手伝って、話題は尽きなかった。一限目の授業の後も、まだまだ話は続いた。そんなちょっとしたきっかけで、友達ができた。

(続く)

北校舎 18

2006年02月03日 11時38分00秒 | 小説
 二学期も二週目に入り、それまでの午前中四時限だけの短縮授業から、平常通り、六時限の授業となった。しかし浩人は午後からの授業を受けることなく、しばらくは昼までで早退していた。もし大宅の与えてくれた机がなかったら、早退はおろか、一学期と同じように欠席を重ねてしまっていたかも知れない。欠席をすれば机が無駄になる。大宅の好意を無にすることになる。そんなことをして、まさか大宅に化けて出てこられても困る。そういう幼く単純な恐怖心も、浩人の登校を後押ししていた。
 まだ誰とも言葉を交わしていなかった。まず何よりの課題は、クラスメイト達といかにして話をするか、つまりはどのようにして友達を作るか、ということにあった。そして浩人は、クラスメイトの顔と名前を、一人一人憶えることから始めた。登校するだけで多大な気力を費やし、その上、記憶力をフルに発揮させる。午前中だけでも、充分ヘトヘトに疲れた。ひ弱な浩人には、午後からの授業に使う体力など、ほとんど残っていなかった。早退の理由は、そこにあったとも言える。
 浩人は、自覚はしていなかったが、記憶力に長けていた。だから五十人ほどのクラスメイト全員の顔と名前を、十日も経たない内に完璧に憶えた。最初は苦労したが、案外たやすく憶えられた。神経質な性格が、一人一人を細かくチェックするのに役立った。ある意味では後の時代に登場する、シミュレーションのテレビゲームの感覚だったかもしれない。浩人には、これが意外に楽しかった。しかしまだ誰とも口は利いていない。そうして、間もなく十月を迎えようとしていた。

 全くの余談ではあるが、浩人はこの頃、ひとつの悪戯(いたずら)をした。朝一番に登校して、教室に独りの時、教室の前の出入り口に近い、黒板の右下の壁に、赤い色のチョークで鳥居を描いた。まさかそんなところで立ち小便をする奴はいない。ちょっとした洒落(しゃれ)のつもりの落書きだった。軽い悪戯のつもりで描かれた鳥居は、すぐに誰かが気付いて、消してしまうであろうと思っていた。しかし鳥居は、浩人の予想に反して、卒業式の前日まで消されることはなかった。どうやら早い時期に白川先生がそれを見付け、「誰がやったか?」と皆に厳しく問いただし、犯人に自主的に消すようにと、命じていたらしい。浩人はその時早退していて、先生の命令を聞いていなかった。結局卒業式の前日に白川先生自らが消すまで、壁に描かれた赤い鳥居は健在だった。犯人はとうとう、判らず終いであった。
 話を本題に戻す。

(続く)