京阪鴨東線「出町柳(でまちやなぎ)」駅。
京都で生まれ育った私だが、昭和55年には大阪へ移り住んだので、その後に開通開業した京阪鴨東線やこの駅は、比較的利用機会が少ない。
初めての利用は10数年前、京都府立文化芸術会館へ、友人の出演する舞台を観にいった際。
昨年一昨年と、京都造形芸術大学の卒業制作作品に出演する為、度々この駅を経由して撮影現場へ向かった機会があったが、先日この駅を降りて、初めて京都大学を目指した。
目的は医師の卵である医学生が、医療面接のシミュレーションを行う授業に、模擬患者やその家族に扮して参加する為。
この授業をひと言で言えば、医学医療の知識や技術の習得だけでなく、それ以前に医師として人としてのコミュニケーション力を育てる授業。
役者やMCタレントとしての経験に加えて、病歴や入院歴の経験を、少しでも医学教育のお役に立てればといった思いでボランティア参加を始めたのだが、若い学生さんたちとの言葉のキャッチボールを楽しませてもらっている私である。
もし興味を持たれたお方、参加ご希望のお方がいらっしゃれば、私までご連絡下さい。
そうだ京都へ行こう!京阪電鉄 「出町柳から」 中之島ゆき
京都で生まれ育った私だが、昭和55年には大阪へ移り住んだので、その後に開通開業した京阪鴨東線やこの駅は、比較的利用機会が少ない。
初めての利用は10数年前、京都府立文化芸術会館へ、友人の出演する舞台を観にいった際。
昨年一昨年と、京都造形芸術大学の卒業制作作品に出演する為、度々この駅を経由して撮影現場へ向かった機会があったが、先日この駅を降りて、初めて京都大学を目指した。
目的は医師の卵である医学生が、医療面接のシミュレーションを行う授業に、模擬患者やその家族に扮して参加する為。
この授業をひと言で言えば、医学医療の知識や技術の習得だけでなく、それ以前に医師として人としてのコミュニケーション力を育てる授業。
役者やMCタレントとしての経験に加えて、病歴や入院歴の経験を、少しでも医学教育のお役に立てればといった思いでボランティア参加を始めたのだが、若い学生さんたちとの言葉のキャッチボールを楽しませてもらっている私である。
もし興味を持たれたお方、参加ご希望のお方がいらっしゃれば、私までご連絡下さい。
そうだ京都へ行こう!京阪電鉄 「出町柳から」 中之島ゆき
明日29日(金)から2月1日(月)までの4日間開催される「武蔵野美術大学映像学科 卒業・修了制作展2009」にて、私が出演する映画『ピラルクー』(横山拓矢監督)が上映されます。
武蔵野美術大学映像学科 卒業・修了制作展2009
http://ias-server.musabi.ac.jp/eizou2009/
昨年夏、奈良で撮影されたこの作品。私は、釣り堀を経営するオッチャンという役柄です。
東京の学生映画界には、初登場となる私です。
お近くのお方は、是非、武蔵野美術大学へ!
武蔵野美術大学映像学科 卒業・修了制作展2009
http://ias-server.musabi.ac.jp/eizou2009/
昨年夏、奈良で撮影されたこの作品。私は、釣り堀を経営するオッチャンという役柄です。
東京の学生映画界には、初登場となる私です。
お近くのお方は、是非、武蔵野美術大学へ!
風邪をひいていたところに急な用事が入ったりして、多少無理を押して出歩いていたら、ちょっとこじらせかけてしまった。
咳がかなり酷く止まらなくなったので、遅ればせながら慌てて医者へ駆け込み、薬をもらってしばらく休養していたここ数日。だいぶ良くなったので、そろそろ行動再開。
そんな訳で、当ブログも9日ぶりの更新となる。
毎年この時期に紹介しているのが、道明寺天満宮の「うそかえ祭」。
内容は、ここ数年の日記をご参照いただきたい。
☆2009(平成21)年1月23日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/e367d95981f32997afdddac6c8b092e1
☆2008(平成20)年1月29日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/48caab338e37e50b20f0ff714f57afa5
☆2007(平成19)年1月27日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/8692d6a735a1897329a56df4cb115d0e
道明寺天満宮・うそかえ祭り(大阪府藤井寺市)
とにかく、参加した後、なんだか心があったかくなるお祭りである。
改めて調べてみると、道明寺天満宮以外の全国の天満宮でも、それぞれやや形式は違えど、やはりこの「うそかえ」の神事が催されている様子。いやいや不勉強であった。
私も今年は、大阪天満宮へも足を運んでみようかと思っている。
皆様も今日明日、お近くの天神様へ!
咳がかなり酷く止まらなくなったので、遅ればせながら慌てて医者へ駆け込み、薬をもらってしばらく休養していたここ数日。だいぶ良くなったので、そろそろ行動再開。
そんな訳で、当ブログも9日ぶりの更新となる。
毎年この時期に紹介しているのが、道明寺天満宮の「うそかえ祭」。
内容は、ここ数年の日記をご参照いただきたい。
☆2009(平成21)年1月23日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/e367d95981f32997afdddac6c8b092e1
☆2008(平成20)年1月29日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/48caab338e37e50b20f0ff714f57afa5
☆2007(平成19)年1月27日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/8692d6a735a1897329a56df4cb115d0e
道明寺天満宮・うそかえ祭り(大阪府藤井寺市)
とにかく、参加した後、なんだか心があったかくなるお祭りである。
改めて調べてみると、道明寺天満宮以外の全国の天満宮でも、それぞれやや形式は違えど、やはりこの「うそかえ」の神事が催されている様子。いやいや不勉強であった。
私も今年は、大阪天満宮へも足を運んでみようかと思っている。
皆様も今日明日、お近くの天神様へ!
私が大学時代に在籍していたミニFMサークル「SON南大阪ネットワーク」については、以前当ブログでも紹介した。
2009(平成21)年7月22日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/bbac87c1182f23fd9deff15a38bf7dea
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「SON-OB会付属考古学研究所」
http://son.studio-web.net/index.shtml
「SON南大阪ネットワーク」とは?
「SON南大阪ネットワーク」は1980年、大阪芸術大学の学生が中心となって作られた「ミニコミFM放送サークル」です。
当時学生の自己表現の手段として流行していた「ミニコミ誌」という紙媒体としてのコミュニケーションメディアがありました。この「ミニコミ誌」を電波媒体に置き換えて表現したいと考えた学生たちが集まり、学生寮や文化住宅など学生が多く住んでいる地域を選んで微弱FM電波の送信所を設置。南大阪各地でいわゆる「100メートル放送局」のネットワークを作ったのが始まりです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こういったミニFM放送やラジオについて、社会学的見地から研究をしているという某大学院生W氏からご連絡をいただき、昨年末に私を含めた当時の関係者3人が集まり、取材を受けた。
3人の関係者の中には、大学卒業以来25年ぶりの再会を果たしたU氏もいて、感激のご対面劇もあったのだが、もうひとつ、この初対面の大学院生W氏にも、ある種の感激を覚えた。
特に集められた資料が尋常ではなく、中には当事者である私たちですらその存在を知らなかった雑誌資料などもあり、逆にこちらからコピーをお願いする等、旧交を温めながらの会談は意外な盛り上がりを見せ、4時間にも及んだ。
今後この大学院生W氏が、ミニFMにおける社会学者の第一人者としてご活躍されることを期待するとともに、記録や記憶に基づく資料集めやその保存に尽力してくれている仲間らに感謝しつつ、次なる再会を誓った年末となった。
バグルス - ラジオスターの悲劇
2009(平成21)年7月22日のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/bbac87c1182f23fd9deff15a38bf7dea
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「SON-OB会付属考古学研究所」
http://son.studio-web.net/index.shtml
「SON南大阪ネットワーク」とは?
「SON南大阪ネットワーク」は1980年、大阪芸術大学の学生が中心となって作られた「ミニコミFM放送サークル」です。
当時学生の自己表現の手段として流行していた「ミニコミ誌」という紙媒体としてのコミュニケーションメディアがありました。この「ミニコミ誌」を電波媒体に置き換えて表現したいと考えた学生たちが集まり、学生寮や文化住宅など学生が多く住んでいる地域を選んで微弱FM電波の送信所を設置。南大阪各地でいわゆる「100メートル放送局」のネットワークを作ったのが始まりです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こういったミニFM放送やラジオについて、社会学的見地から研究をしているという某大学院生W氏からご連絡をいただき、昨年末に私を含めた当時の関係者3人が集まり、取材を受けた。
3人の関係者の中には、大学卒業以来25年ぶりの再会を果たしたU氏もいて、感激のご対面劇もあったのだが、もうひとつ、この初対面の大学院生W氏にも、ある種の感激を覚えた。
特に集められた資料が尋常ではなく、中には当事者である私たちですらその存在を知らなかった雑誌資料などもあり、逆にこちらからコピーをお願いする等、旧交を温めながらの会談は意外な盛り上がりを見せ、4時間にも及んだ。
今後この大学院生W氏が、ミニFMにおける社会学者の第一人者としてご活躍されることを期待するとともに、記録や記憶に基づく資料集めやその保存に尽力してくれている仲間らに感謝しつつ、次なる再会を誓った年末となった。
バグルス - ラジオスターの悲劇