西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

♪ミファミレドレド

2008年06月01日 00時42分00秒 | 31人の河村宏正
 妻が転寝(うたたね)していたので、寝顔をカメラに収めてみた。そしたら……。

「それをネットで公開したら、パソコンを使えない体にするわよ!」やて。

 お~こわ~(叫)! まさか公開するつもりないんやけんど……。

 そない言うたら大学時代、ゼミの合宿で、女性の先生の寝顔を撮った奴がおって……。

「ネガを渡しなさい! そうしないと訴えるわよ!」

 相当大目玉を食ろとったことがあったのを思い出すなぁ……。


 ほんで、妻は仕返しに私の寝顔を撮りよった。
 やので、その写真を公開してみるとするか。朝寝する私……。

 不眠症と思えへんぐらい、よ~寝とるわ、ワタクシ。
 そう言うたら、自分の寝顔て、見た記憶なかったなぁ……。

 いや、ホンマに!

スラッとしていた頃

2008年05月12日 10時28分00秒 | 31人の河村宏正
 そしてもう1枚の写真は、10数年前、高松のコミュニティFMで、パーソナリティを務めていた頃のもの。
 この頃の体重は、60kg台はあったはずだが……? それでもスラッと細いよなぁ……。


 今……? 74kgぐらいかな? 「柔道とかラグビーでもやってらしたんですか?」って、よく聞かれるけど……。有り得ませんよ!

UMAさんと呼ばれていた頃

2008年05月12日 10時25分00秒 | 31人の河村宏正
 数年前、この写真が実家の母によって発見された時、母はしばらくその事実を隠していた。あまりの人相の悪さに、この写真を私本人に見せたくなかったのだと言う。

 この写真は、枠に記されている数字からも分かるように、1984(昭和59)年、正に就職活動の最中に撮影された1枚である。

 確かこの当時の体重は、50kg余り。頬は痩け、ぎょろりとした目の鋭さが目立ち、なるほどお世辞にも良い人相とは言えない顔をしている。
 これじゃ、なかなか就職試験には受かるまい……。


 また学生時代「UMA(ウマ)さん」というニックネームで呼ばれていた頃があったのを、十分にご理解いただける写真でもあろう。

一人旅だよカームラ・K

2008年04月22日 14時00分00秒 | 31人の河村宏正
 最近、私の名前で検索をかけてみると、思わぬページにひっかかるようになってきた。

 「河村宏正の出演情報」とか「河村宏正の出演作品」とか「出演者別検索結果」とか「キャスト/スタッフ情報」とか……、とにかく色んなデータベース関連のサイトに、名前が載るようになってきている。例えば、あの河村隆一や川村ひかるや川村ゆきえと、私の名前が並んで載っていたりするのである。

 確かにこれまでたくさんの映画やテレビ、ラジオ等に出演してきたが、エンドロールに名前が載るような大きな仕事は、そんなには経験していないのだがね……? つまり、私ゃそんな所に載せて貰えるような有名人ちゃうよっちゅーねん!

 こういった仕事柄、自分の名前が独り歩きをし始めたということは、嬉しいことではある。が、しかし……、正直言ってその反面、なんか気色悪いなあ。

 まあプラス思考で受け止めておくことにしよう。でも……、本名とか芸名とか、読み方を一応使い分けていたりするので、どうせ載せていただけるのなら、その辺も正確に、間違えて欲しくないなあ、とも思う。


 私の名前については、当ブログ『西向きのバルコニーから』より、過去の記事「カームラ・K」をご参照いただきたい。

 あ、ついでながら……、「カムーラ」じゃなくて「カームラ」ですので……、ハイ(苦笑)。

ペー族になってみた日

2008年04月14日 09時39分00秒 | 31人の河村宏正
 またまた、万博公園へ出かけてみた。

 大方の桜の時期はピークを過ぎていたが、それでも数本は遅咲きの桜がまだ咲き誇っていた。
 見頃はこれからというチューリップ園も、エキスポマークに模られたパンジーの花壇も美しい。

 一番のお目当ては、「みんぱく」こと国立民族学博物館。
 世界各地の民族衣装や生活用具等など、大変見応えがあった。1日では見足りない感じ。是非また足を運びたいと思った。

 特別展「深奥的中国~少数民族の暮らしと工芸~」では、コスプレも体験。ペー族の衣装を着て記念撮影。


 そう言えば眩暈……? 楽しいひと時を過ごしていたら、忘れてしまっていた。たぶんもう大丈夫だと思うよ。