西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

苦い思い出とぶっかけうどんの味

2014年08月22日 10時45分00秒 | ステンショから
 JR伯備線「倉敷(くらしき)」駅。






 私がこの駅に初めて降りたのは、1985(昭和60)年8月のことであった。
 ある知人から、某レジャー施設のイベント期間中、MCを務めてくれる人を探しているとの依頼を受け、やって来たのがこの駅。

 大学を卒業して数ヶ月、まだ碌に仕事もしていない研究生タレントだった私は、願ってもない話だと思い込み、喜び勇んで取るものも取りあえず倉敷へ飛んでいったのだが……。結局仕事らしい仕事はほとんどすることもなく、毎日あちらこちらのホテルや旅館を転々とさせられたあげく、当初2ヶ月近く予定していた滞在期間を大幅に切り上げ、1週間余りでの帰阪となった。

 帰阪後もその知人からは何度か電話が入り、出演料を振り込むための口座番号を確認してきたりもしていたのだが、やがて連絡もとれなくなり、私の口座に出演料が振り込まれることもなく終った。
 つまり……、騙された。

 そんな思い出のある駅に、先日29年ぶりに降りた。岡山SP研究会の模擬患者養成講座を受けに行ったついでに、倉敷独自のの「ぶっかけうどん」を食べに寄ってみたのだ。


 若かりし頃の思い出の苦さが、うどんの出汁の甘みと山葵のつんとした辛味をよりいっそう引き立たせ、その美味さに大満足した瞬間であった。

 
 余談だが、あの日倉敷に降り立った時、改札口で偶然学生時代のサークル仲間と再会した。地元の新聞社に勤めているとかで、甲子園を戦って帰ってきた地元高校の野球部を取材に来ていた。
 今秋、そのサークルのOB会が開催される。彼とまた会えるだろうか……?

謎の駅から古い町並

2014年01月17日 11時39分00秒 | ステンショから
 近鉄橿原線「八木西口(やぎにしぐち)」駅。





 20年ぐらい前までは、車内の路線図や時刻表にも記載されておらず、また「大和八木」駅の南に位置しているのに、何故「西口」なのか……? 等など、とにかく謎の多い駅であった。

 調べてみると、駅名の「西口」とは、旧八木町の西の端に位置していたのが、その命名の理由らしいが、駅の誕生やその後の変遷には、かなり複雑な事情があったようで、私のような素人が説明するには多少の無理があるので敢えて避けるが、とにかく今現在でも「大和八木」駅と同一駅扱いとなっているという、全国的にも他に類を見ない珍しい駅なのだそうだ。

 その珍しい駅に初めて降りたのは、今月3日。近鉄電車の「橿原神宮初詣1dayチケット」を有効利用するため、少し足を延ばして、念願の謎の駅で降りてみたくなったのだ。

 駅の南西には、丁度私の住む富田林寺内町と同じく、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「今井町」という戦国時代からの風情ある古い町並が広がっていて、その辺りを散策してみたかった。しかし、さすがに正月の三が日は、様々ある施設やお店等も開いていないところが多く、今回は町並を眺めながらぐるっと半周ほど歩いただけになったが、また改めてゆっくり訪れてみたいと思っている。


 私にとっての謎の駅からの謎の旅は、今やっと始まったばかりなのである。



いいなCM 大和ハウス 共創共生 「奈良・通り庭」篇

河村はアーティストだった

2014年01月02日 15時16分00秒 | ステンショから
 京阪本線「伏見桃山(ふしみももやま)」駅。






 子供の頃から度々利用していた京阪本線ではあるが、この駅に初めて降りたのは、2005(平成17)年の1月。前年2004(平成16)年秋に撮影され、私もエキストラ出演した、テレビ東京系の新春ワイド時代劇『竜馬がゆく』のロケ現場となった、東高瀬川沿いの酒蔵のある風景を再度見たくなって、行った際のことである。

 その後はしばらく乗り降りする機会がなかったのだが、一昨年末そして昨年末と2年連続で、高校時代の友人数人との飲み会が、この駅付近の店で催された。
 一昨年、友人たちとは33年ぶりの再会となった。

「河村はアーティストだった」

 友人は、私のことをそんな印象で記憶してくれていた。別に絵を描いていたとか、音楽をやっていた訳でもないのだが、放送部で昼休みにDJをしていたことや、森昌子のシングル盤を全部持っていたことや、後に『探偵!ナイトスクープ』の依頼ネタとなる、散髪屋さんに耳を切られた話を既に語っていたことなどを挙げて、懐かしく話してくれた。
 友人たちにとって私は、やはり当時からいささか変わった存在、つまり変人であったらしい。


 友人から数々の思い出話を聞いて、改めて力をみなぎらせた、私なのであった。

嵐山の雨

2013年09月20日 17時47分00秒 | ステンショから
 京福嵐山本線(嵐電)「嵐山(あらしやま)」駅。





 高校時代、友人に「ゼロ戦見に行かへんか?」と誘われて、当時桂川沿いにあった「嵐山美術館」へ行った際、この駅を利用した。
 風光明媚な観光地で知られる嵐山と、零式艦上戦闘機という妙な取り合わせに多少の違和感を感じつつも、展示されたゼロ戦を見て興奮を覚えた記憶がある。







 嵐山には小学校2年生での遠足を始め、何度か訪れた思い出多き場所のひとつであるが故、先日の台風18号による被害には、大きな衝撃を受けた。
 また最近影響を受けたアニメ『ちはやふる』の特別展が、やはり嵐山にある百人一首の殿堂「時雨殿」で開催されていると聞き、足を運んでみたいと思っていた矢先の嵐山浸水のニュースに、ただ驚いているばかりである。だが時雨殿は大きな被害に至らなかったようで、台風通過2日後の18日には通常営業を再開したらしく、幸いであったと思う。


 嵐電の「嵐山」駅から、渡月橋を渡って、阪急「嵐山」駅までのまたの散策を楽しみに、早い復旧復興を祈りたい。




タルホ先生

2013年07月04日 15時50分00秒 | ステンショから
 京阪宇治線「桃山南口(ももやまみなみぐち)」駅。






 昔、母は母子寮(現母子生活支援施設)の寮母として働いていた時期がある。亡父と母の仲人的存在でもあった、その母子寮の寮長先生の住まいが、この駅辺りにあって、母に連れられて何度か乗り降りしたことがある。

 この寮長先生の夫こそ、小説家、稲垣足穂(いながきたるほ=1900~1977)先生。

 私も子供の頃から何度かご夫妻にお会いしている筈だが、記憶に濃いのは、確か私が中学1年生の年、火事に遭われ、知人のお宅に身を寄せていらしたご夫妻を、お見舞いに伺った時のこと。
 
「この人は、貴方ぐらいの少年が好きなんですよ」

 夫人から改めて紹介された私の頭を、足穂先生は笑顔で二、三度撫で撫でして下さった。そして背中を向けて何やらゴソゴソ始められると、辛うじて火事場から持ち出された荷物の中から見付けた何枚かのスライド写真を、私に手渡して下さった。それは何れも複葉飛行機が写されたもので、足穂先生は、どこの国の何という機種なのかを1枚1枚説明しながら渡して下さったのだが、全く失礼ながらその詳細を憶えていない。
 今になって改めて調べてみると、少年時代に飛行家を目指したり、複葉飛行機の製作に携わっていらしたこともあるという先生。そんな稲垣足穂先生ならではの、エピソードと言えるかもしれない。


 最近、この稲垣足穂先生の自伝的小説とも言える『彌勒』が、林海象監督の手によって映画化されたようだ。
 是非、観たいものだと思っている。


彌勒 MIROKU 公式サイト
http://www.0369.jp/about01.php

FMはしもとで始動

2013年01月27日 14時04分00秒 | ステンショから
 南海高野線「橋本(はしもと)」駅。






 JR和歌山線「橋本(はしもと)」駅。






 もう20年前後昔の話になるが、かつて和歌山へ週に1~2度、CMのナレーション録りに通っていたことがあって、和歌山市内を中心に県下各地へも、ちょくちょく足を運んでいたことがあった。

 ここ橋本にも2~3度訪れたことはあったが、自宅と仕事現場との間を直線的に移動していたので、南海、JR二つの駅もただ乗換えに利用するのみで、駅周辺をじっくり散策したり探訪したりしたこともなく、これまで橋本の街のことは、ほとんど何も知らなかった。


 そんな橋本市で今春開局予定のコミュニティFMラジオ「FMはしもと」に、パーソナリティとして参加することになった!
 誠にお恥ずかしいことながら、このところ仕事が少なく、昨年からは生活費を稼ぐため、遂に畑違いのバイト仕事に従事するなど、苦しい生活が続いていたが、ようやく本来の自分らしい仕事に巡り合えて、今燃えている。

 
 2013年春、FMはしもとと共に新たなスタートを切る私に、どうぞご期待を!




カラスボーイ

2012年12月17日 15時09分00秒 | ステンショから
 南海高野線「初芝(はつしば)」駅。





 1981(昭和56)年の9月、この駅で二度ばかし降りたことがある。
 某地方選挙に、学生アルバイトとして参加した際、選挙事務所から出してくれたクルマのお迎えを待っていたのが、この駅であった。

 大学がある地域の議員さんから、当時私が所属していたクラブの加入する団体を通じて電話が入り「おたくのクラブから何人か紹介してほしい」との依頼を受け、後輩数人を派遣する形となった。
 そして数日後、そのうち一人の後輩から電話で「先輩も来て下さい」と誘われ、結局私も3日間だけ参加することになった。

 随分とアクセントのおかしいベテランウグイス嬢に首を傾げることもあったが、3日間候補者とともに力の限り戦った。
 余談だが、後輩の中には運動員の男性と恋に落ちて、後に大学を辞めて結婚した者もいたのを思い出す。

 選挙から数日が経っても、なかなか選挙スピリッツが抜けきらず、道行く人に会う度、手を挙げて「お願いします!」と叫んでしまいそうになったこともしばしば。


 恐らく今日辺り、そんな当時の私と同じ思いをしているお方が、全国にたくさんいらっしゃるのではないかと思う。

天満橋から西天満

2012年02月15日 16時36分00秒 | ステンショから
 京阪本線「天満橋(てんまばし)」駅。






 子供の頃、大東市に墓参りに行く際、この駅でバスに乗り換えて行くというパターンが、何度があったと記憶している。
 また大学入学当初、この駅から地下鉄に乗り換えるというパターンも試してみたが、この天満橋や天王寺での乗り換えに結構時間を要したこともあり、その他の所用では利用の機会が少ない。


 先日、義母が西天満で用事があると言う。聞けば数ヶ月前に行った時は、この京阪の天満橋駅からタクシーを利用したようなのだが、乗ったタクシーの運転手も場所がよく分からず、結局その辺りをグルグル回って探しながら行ったらしい。
 そこで私に、もう少し簡単に行ける方法はないものかと尋ねてきた。
 確かに京阪の天満橋駅から西天満までとなると、義母の足なら1時間近く歩くことになるだろう。しかも義母は、妻に輪をかけたほどの方向音痴ときたから、ちょっと厄介である。

 結局私が道案内を買って出ることとなり、待ち合わせ場所に地下鉄南森町駅を指定。ものの5分とかからずに、無事目的地に送り届けた。


 地図やカーナビ等があっても、やはり場所がよく分からないと仰るお方は、一度私にご連絡下さい。きっとお役に立てることと思いますよ。


知ってるはずの知らない街

2011年12月19日 09時47分00秒 | ステンショから
 JR東海道本(JR京都)線「高槻(たかつき)」駅。






 高槻と言えば、高校1年生の1学期のみ国鉄(当時)山科~京都間を利用していて、京都駅で降車した際「扉が閉まりま~す、次は高槻たかつき~!」と叫ぶようなアナウンスが、駅ホームに響いていたのを未だに思い出すが、実際に高槻まで行ったことはなかった。
 また1970(昭和45)年の大阪万博の際は、確か万博会場へのシャトルバスが出ていた駅のひとつであったのではないかと思うが、京都に住んでいた私は、常に阪急茨木市駅からのバスを利用していて、やはり高槻で降りたことはなかった。

 そんな私が初めて高槻を訪問したのは、大学生の頃。
 最初は、友人が交際していた彼女の下宿先に、友人と行った際。しばらく部屋3人でにいたのだが、やがて私が一緒にいるのがアホらしくなってきて、独り帰った記憶がある。

 あと同じく大学時代、実習授業仲間での合宿に、ある山荘を利用した際も高槻駅が集合場所だったし、10年ぐらい前に実家で17年飼っていた猫が死んだ際、その初盆に動物霊園へ参拝した帰り、送迎バスを降りたのも確かこの駅だった。

 こうして何度か訪問している高槻市なのだが、いずれも何故か断片的にしか覚えておらず、思い出深いエピソードといったものもなく、その都度利用した駅が、JR(国鉄)であったのか阪急であったのかも、記憶があやふやである。

 今年9月、お世話になっている監督氏から、映画イベントの司会を依頼され、その打ち合わせで久し振りに訪れた高槻。
 ほんの少しの時間ではあったが、アーケードの商店街も散策させてもらった。
 また改めて、訪れたい散策したい街だと思った。


 あ……、20数年前に某芸能プロダクションでマネージャー見習いをしていた際、高槻城址公園で開催されたイベントに参加した、某アイドル歌手の警護に行ったことがあったが、その時は確か阪急茨木市駅を利用したのだと思う。


 阪急京都線「高槻市(たかつきし)」駅。






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女優さんの前にウンコはできない

2011年12月13日 04時31分00秒 | ステンショから
 大阪市営地下鉄中央線「高井田」駅。






 2000(平成12)年9月17日と同24日、この駅で乗り降りした。

 NHKの某ドラマの撮影にて、町工場の工員役のレギュラーエキストラとして、この界隈にある某町工場へ2度通った。工場が休みの日曜日を利用して、撮影が行われた。
 ちなみにレギュラーエキストラとは、ある特定のシーンには、必ずと言っていいほど登場するエキストラで、同じドラマに何度も登場することから、このように呼ばれていることがある。

 1階が工場、2階が住居である工場兼住宅が撮影現場。2階に主要キャストの控室が設けられていたが、私達エキストラには特別に控室はなく、着替えも衣裳部屋を利用していた。

 故に撮影の間の待ち時間は、建物の外でブラブラ見学していることがほとんど。丁度シドニーオリンピックの女子マラソンで、高橋尚子が金メダルを獲ったというニュースを、携帯の小さな文字で読んだりしながら、椅子もなく立ったりしゃがんだりしている中に、便意を催してきてしまった。

 何度か我慢を繰り返したが、やがてもう辛抱堪らなくなって、しかたなく階段を駆け上がり、2階のトイレへ飛び込もうとした時、トイレの扉の前で、ある女優さんと鉢合わせ。慌てて一瞬身を引いた私だったのだが、女優さんも「どうぞ」と一歩下がる。しかし女優さんが入っているトイレに並んで外から急かせるというのも、どうも失礼な気がしたし、だからと言って、女優さんが出たばかりのトイレに、すぐさま続けて入るのも何だかイヤラシイ気がする。だがそんな私の脳裏に交錯する思いとは関係なく、女優さんは「どうぞどうぞ」と更に一歩も二歩も後ずさり。

 それならお先に……、と意を決してトイレに入った私だが、タイミングがずれたのと緊張感からか、出るはずの物が出ない。女優さんが外で待っているかと思うと、余計に出ない!
 しかし……、もし出たとしても、匂いを残してしまったら女優さんに申し訳ない。だがトイレの中に匂い消し剤みたいなものは見当たらない。

 う~ん……、と短く考えた末、急いでパンツとズボンを上げ、何食わぬ顔をしてトイレを脱出。女優さんのお顔をまともに拝むことも出来ないくらい、そそくさと階段を下りた。

 その後も撮影は数時間続いた……。
 どうにかこうにか何とかその場を乗り切った私は、帰りの高井田駅のトイレで、ようやく無事大量に本懐を遂げることが出来た。


 朝ドラ『カーネーション』でお母さん役を演ずるAYさんを観る度、私はついつい、あの日の高井田駅を思い出してしまっている。



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