INAC神戸のFW澤穂希(37)が17日に都内で今季限りで現役を引退すると記者会見で発表した。
澤は15歳で女子日本代表に初招集され、4度のオリンピックと6度のW杯に出場。
11年ドイツW杯大会では、決勝のアメリカ戦で劇的な同点ゴールを挙げるなど、
日本男女を通じて初のW杯優勝に大きく貢献。
MVPと得点王も獲得し、同年度のFIFA女子最優秀選手賞にも輝いた。
なでしこジャパンでは最多の205試合と83得点を記録するなど
20年以上にわたって日本女子サッカーをけん引してきた。
また、今年8月11日にベガルタ仙台の強化・育成担当の辻上裕章氏との結婚を発表していた。
-ゲキサカ-
「心と身体が一致してトップレベルで戦うのが難しくなったと感じたから。
人生最大の決断になったが、本当に最高のサッカー人生だった」と引退理由を語った。
引退を意識したのは去年。
「去年から現役を続けるか自問自答を繰り返してきた」。
代表を外れた時にいろいろなことを考えたという。
そして今年のW杯を終え、
「その瞬間に悔いなくやり切ったと思った。
そのときくらいから今年いっぱいかな、という気持ちでここまで来た」と明かした。
引退後については、サッカーに関連して
「『澤穂希にしかできない仕事』をやっていきたい。
子供が好きなので、
女子サッカーの底辺を広げる意味で子供に夢を与える仕事をしたい」とした。
指導者については「現役中は『ない』と思っていたが、
今後はもしかしたらやりたい気持ちになるかもしれない」と含みを残した。
-THE PAGE-
とうとう本当のレジェンドとなる日を迎えてしまった。
これまでを振り返り、
日本女子サッカー界を支え続けてきた選手人生だったと云えるだろう。
男子サッカーと比べ、決して恵まれた環境とは言えなかった。
ガラガラだった客席を少しでも埋めるための努力をしなければならない選手たち。
Jリーグの選手たちには考えられないような苦労を背負いながらの試合出場だった。
一躍注目を浴び、人気沸騰の起爆剤になった2011年のドイツ大会。
主将として臨み、決勝の米国戦では劇的な同点ゴールを挙げるなど日本を初優勝に導いた。
この大会で5ゴールを挙げて得点王と最優秀選手に輝き、
同年度にはアジア人として男女初となるFIFA最優秀選手賞にも選出された。
その後の活躍も、12年のロンドン五輪では銀メダル獲得に貢献、
今年のW杯カナダ大会でも準優勝したチームを支えた。
日本代表として歴代最多の通算205試合に出場し、83ゴールを挙げた。
15歳からずーっと日本代表選手を務め、
誰も成し得なかった快挙の中心人物でい続けた。
「本当に最高のサッカー人生だった。」
彼女だからこその重みを感じる言葉だ。
今後の去就に注目が集まりがちだが、
そこは新婚さん。
今年8月の結婚発表からは、まだ4か月しか経っていない。
ここは『人妻』として、甘い新婚生活を満喫し
厳しかった選手生活に「お疲れさま」と、
ゆっくり休養してほしいと心から思う。
国民栄誉賞受賞以上に価値のある、大切な経験をしてきた澤穂希さん。
だからこそ、誰もが認めるレジェンドなのだ。
いつかまた、指導者として私たちの目の前に現れる日がやってくるだろう。
いつまでも日本人の誇りとして、憧れの星として
輝き続けてほしい、そんな人が澤穂希と云う存在なのだと思う。
今まで本当にお疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
自分の人生の中で、まさかサッカーのワールドカップで
日本が優勝するのを目撃するとは夢にも思わなかったオヤジが一句。
赤き血の イレブン世代 夢の跡
お粗末。
澤は15歳で女子日本代表に初招集され、4度のオリンピックと6度のW杯に出場。
11年ドイツW杯大会では、決勝のアメリカ戦で劇的な同点ゴールを挙げるなど、
日本男女を通じて初のW杯優勝に大きく貢献。
MVPと得点王も獲得し、同年度のFIFA女子最優秀選手賞にも輝いた。
なでしこジャパンでは最多の205試合と83得点を記録するなど
20年以上にわたって日本女子サッカーをけん引してきた。
また、今年8月11日にベガルタ仙台の強化・育成担当の辻上裕章氏との結婚を発表していた。
-ゲキサカ-
「心と身体が一致してトップレベルで戦うのが難しくなったと感じたから。
人生最大の決断になったが、本当に最高のサッカー人生だった」と引退理由を語った。
引退を意識したのは去年。
「去年から現役を続けるか自問自答を繰り返してきた」。
代表を外れた時にいろいろなことを考えたという。
そして今年のW杯を終え、
「その瞬間に悔いなくやり切ったと思った。
そのときくらいから今年いっぱいかな、という気持ちでここまで来た」と明かした。
引退後については、サッカーに関連して
「『澤穂希にしかできない仕事』をやっていきたい。
子供が好きなので、
女子サッカーの底辺を広げる意味で子供に夢を与える仕事をしたい」とした。
指導者については「現役中は『ない』と思っていたが、
今後はもしかしたらやりたい気持ちになるかもしれない」と含みを残した。
-THE PAGE-
とうとう本当のレジェンドとなる日を迎えてしまった。
これまでを振り返り、
日本女子サッカー界を支え続けてきた選手人生だったと云えるだろう。
男子サッカーと比べ、決して恵まれた環境とは言えなかった。
ガラガラだった客席を少しでも埋めるための努力をしなければならない選手たち。
Jリーグの選手たちには考えられないような苦労を背負いながらの試合出場だった。
一躍注目を浴び、人気沸騰の起爆剤になった2011年のドイツ大会。
主将として臨み、決勝の米国戦では劇的な同点ゴールを挙げるなど日本を初優勝に導いた。
この大会で5ゴールを挙げて得点王と最優秀選手に輝き、
同年度にはアジア人として男女初となるFIFA最優秀選手賞にも選出された。
その後の活躍も、12年のロンドン五輪では銀メダル獲得に貢献、
今年のW杯カナダ大会でも準優勝したチームを支えた。
日本代表として歴代最多の通算205試合に出場し、83ゴールを挙げた。
15歳からずーっと日本代表選手を務め、
誰も成し得なかった快挙の中心人物でい続けた。
「本当に最高のサッカー人生だった。」
彼女だからこその重みを感じる言葉だ。
今後の去就に注目が集まりがちだが、
そこは新婚さん。
今年8月の結婚発表からは、まだ4か月しか経っていない。
ここは『人妻』として、甘い新婚生活を満喫し
厳しかった選手生活に「お疲れさま」と、
ゆっくり休養してほしいと心から思う。
国民栄誉賞受賞以上に価値のある、大切な経験をしてきた澤穂希さん。
だからこそ、誰もが認めるレジェンドなのだ。
いつかまた、指導者として私たちの目の前に現れる日がやってくるだろう。
いつまでも日本人の誇りとして、憧れの星として
輝き続けてほしい、そんな人が澤穂希と云う存在なのだと思う。
今まで本当にお疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
自分の人生の中で、まさかサッカーのワールドカップで
日本が優勝するのを目撃するとは夢にも思わなかったオヤジが一句。
赤き血の イレブン世代 夢の跡
お粗末。