第一話 権蔵タヌキ
今から100年以上前、四国のお山にタヌキの集落があった。
そこに住むタヌキたちは里に住む人間と近過ぎず、遠過ぎない絶妙な距離感で共存していた。
タヌキの中には権蔵のような果敢な若者もいる。
権蔵タヌキは好奇心からいつも人里に出向いては葉の影に隠れ、人を定点観察するのが好きだった。
そのお気に入りの場所とは、あぜ道と村のメイン通りが交差する角に鎮座するお地蔵さんが良く見える場所。
お地蔵さんはいつも温和な顔をして権蔵タヌキを迎え入れてくれる。
だから権蔵はそのお地蔵さんが大好きだった。
そしてもうひとつ、お地蔵さんが好きな理由がある。それは時々そのお地蔵さんに供えられるお供物をお裾分けして貰えるから。
そのキッカケとなったのはある日のこと。
権蔵タヌキは初めて降りた人里で優しいお顔のお地蔵様の足元に、美味しそうなお餅が供えられているのを見つけた。
権蔵タヌキはヨダレを流し、茂みの奥からさも食べたそうにジッと眺める。
そんな様子を見せつけられると、さしものお地蔵さんも知らんぷりしてはいられない。
「そこな茂みに隠れているタヌキの若者よ、ほら、今しがたのもらい物だが良かったらおあがり。」
お地蔵様のその声に、隠れていたことがバレた権蔵タヌキは観念し、恐る恐る身を乗り出して、
「心優しいお地蔵様、ありがとうございます。私は昨日の晩より何も食べておりません。
昨晩のお山は満月故、一晩中腹包みを叩いて踊り明かしていたために、何もお腹に入れられずにいたのです。
ああ、有り難い!ああ、美味しい!このお餅、何と柔らかく美味しい事か!
すきっ腹に染み入るとは此のことよ。このご恩は一生忘れません!本当にありがとうございます。」
「そんなに恩を着ることはない。そもお供物とはな、場合によっては困っている者を救済するためのものでもあるんでの。だから功徳を得たいと思う信心深い村の衆は、自ら進んでお供物を供えてくれるんじゃよ。
そのお餅もそうした信心深く、善良な者の尊い行いの結果じゃ。
だから遠慮のぉお食べ。それを食べても罪にはならず、お主がその善意を受け取ることで、結果として供えた者の功徳となるんじゃからな。」
権蔵タヌキは涙を流してひれ伏した。
その日を境に権蔵タヌキは里山から通い続け、どんぐりだの野イチゴだのオンコの実などをお地蔵さまに供えるようになった。
そんな事が続くと、いつもお供物を供えていた村の衆も気づき始める。
一番最初に気づいたのは村娘のおミヨちゃんだった。
気立ての良い娘で、その娘が近づくと辺りをパァっと明るくするような雰囲気を持っている。
「あら?このドングリは何かしら?こんなにたくさん誰が供えたのだろう?え?これって供えられた物よね?でもお地蔵さまにドングリなんて・・・。おかしな話ね。」
翌日は別の木の実が。そしてその翌々日には別の実が。
「一体誰がこんなに毎日供えているのでしょ?集めるだけでも大変だったでしょうに。」
茂みの奥から権蔵タヌキに見られているとも知らずに、おミヨちゃんはその日のご飯の一部を供えに来ていた。
でもお地蔵さまにお供えをしているのはおミヨちゃんだけではない。
時々は近所のお米ばあちゃんであったり、与助のオヤジもやって来る。
そして次第に奇妙なお供え物が村中の噂になりはじめ、真相を確かめようと若い慎太郎が見張りを買って出た。
そして待つ事2時間程。
とうとう奇怪な噂の主が現れた。
権蔵タヌキがいつものように森に生える実を両手いっぱいに抱え、あたりを用心しながらやって来る。
「あ!」
思わず慎太郎の驚きの声が漏れだす寸前、手で口を押え、何とか堪えた。
お供え主が何と!タヌキ?ウソだろ~!!
慎太郎は驚きのあまり、その場に潜みながら固まった。
権蔵タヌキがうやうやしくお地蔵さまに供える姿を目の当たりにしても、その光景が信じられない。
やがて権蔵タヌキは自分が供えた木の実の代わりに、一礼して村人が供えたお供物を手に取りその場を足早に去ると、我に返った慎太郎が後を追う。
その日の晩も月夜なので足元は明かるいが、獣道をスイスイ歩む権蔵タヌキを見失わないよう、必死で追う慎太郎だった。
そしてとうとう権蔵がお山の中腹で立ち止まる。
そこには待ち受ける無数の狸が月の光の前に現れていた。
権蔵は両手で抱えて持ち帰った供え物を、親のいない幼いおせんタヌキに与えた。
「わぁ、美味しそう!」と顔一杯に頬張るおせんタヌキ。
「おお、今宵は玄米おにぎりか!稗や粟ではないんだな?なんと豪勢な事よ!権蔵!ご苦労!!」
そう言って長老タヌキは権蔵タヌキを労った。
「今宵も月が明るいぞ!さあ、皆の衆、ポンポコ踊りの始まりダァ!」
その一部始終を目撃した慎太郎は、そぉ~と来た道を引き返し、待ち受ける村人たちに見てきた事を包み隠さず伝えた。
最初はその事実を誰も信じなかった。
慎太郎は嘘つき呼ばわりされ、気が変になったのかと馬鹿にされた。
「じゃぁ、誰かほかの人も見て見ろよ!ボクの言った事が嘘じゃないって分かるから!」
「生意気な口をきくな!この若造が!」
そう云いながらも事の真偽を確かめる必要があるだろうと、長老が今度は与助に翌日の見張りを命じた。
すると与助も、慎太郎が言った通りの光景を見てきたと証言する。
到底信じられることではないが、これはもう疑う訳にはいかないだろう。
長老たち村人は慎太郎に謝罪した。
「ほらね!言った通りだろ?」
慎太郎もそれ以上は言い返さなかった。
自分の信用と尊厳が守られた事で良しとしよう。
「ところで今回の件、この後一体どうしよう?」
「どうもこうも、お供物を持ち去られる以外の実害はないし、一旦は様子見で良いんじゃね?」
「そうだな、コソ泥タヌキもただ我らが供えたお供物を盗むだけじゃなく、ちゃんとお地蔵さまに代わりのお供物を供えているようだし、そんな信心深い善良なタヌキじゃ、罰する訳にもいくまい。」
そうした訳で村の衆の意見は様子見と決まった。
それから月日が経ち、あの日権蔵タヌキから玄米おにぎりを貰ったおせんタヌキも成長し、人里に姿を現すようになった。
おせんタヌキは早熟で、まだまだ若いのに変身の術をもう身に着けている。
そんなある日のこと。
村娘のおミヨちゃんがいつものようにお地蔵様の所へお供物を持って行くと、そこには何故か二体のお地蔵さまが鎮座している。
「!!」
あれ?お地蔵さまはおひとりだけの筈なのに・・・・。
おミヨちゃんは幾度も目を擦って見直すが、確かにお地蔵様が二体ある。
「これは何とした事!私のカスミ目じゃないのね?」
「でもこれはどうしてなの?今日に限ってお地蔵さまがお二人もいらっしゃるなんて!私の目の錯覚ではないとしたら、どうしたものかしら?持ってきたお供えはこの粟と玄米を混ぜて握ったおにぎりひとつとお漬物が二切れあるだけ。
そうだ!半分にしてそれぞれにお供えしよう!それで恨みっこなしとしてくださいな、お地蔵様たち。」
そう言って半分こしたおにぎりと漬物を一切れずつ双方のお地蔵さまの足元にお供えした。
首を傾げ帰ってゆくおミヨちゃんが遠くに見えなくなると、右のお地蔵さまが「ポン!」と云っておせんタヌキに姿を戻した。
「ありがとう!お姉さん!このおにぎりと漬物、有り難くいただきますね。」
そう言って大事そうにおにぎりを頬張った。
おせんタヌキは権蔵タヌキから貰ったおにぎりの美味しさが忘れられず、お地蔵さまに化けられるよう、必死で修業していたのだった。
この事も村中の話題になったが、とっくにタヌキの仕業だろうとバレている。
しかもとても可愛らしい子ダヌキの仕業である事も。
それを知りつつ二体のお地蔵様へのお供えはその後も続いた。
つづく