その年は四国中のお山が大凶作だった。
タヌキたちや他の生物にとって、生存の厳しさを痛感するほど食べる物がない大飢饉に見舞われていた。
だが里の人間界はそこまで酷くなく、何とか食と生計が立つほどに持ちこたえている。
そうした状態の中、おせんタヌキは相変わらずお地蔵さまの隣で上手に化けてお供物をせしめることができ、幼い孤児であるにも関わらず今日まで生き延びてきた。
と云っても、食にありつけられるのはその時いただいたお供物だけ。
一日僅かな量の食事しか摂れていない。
だから可哀想だが身は細り、いつも空腹な状態にいた。
それでもまだ、おせんタヌキの方がマシである。
お山に居る他のタヌキたちはもっと悲惨で、その日の食を摂るために移動する体力さえ残っていない。
劣等生の尚五郎タヌキや庄吉タヌキはもちろん、あの権蔵タヌキですら飢餓の状態から抜け出せないでいた。
権蔵タヌキは おせんタヌキの事が心配だが、今は守ってやることはおろか、自分の事すらできないのが歯痒く情けない。
一方尚五郎タヌキはいつもと同じ調子で庄吉タヌキと「腹減ったなぁ~」、「そうだなぁ、腹減った」などと同じセリフを繰り返すばかり。
ふたりはもうこの状況を何とかしようという思考から、とっくに脱落している。
「おい尚五郎タヌキ、お前、美味しそうなおにぎりに化けてみてくれないか?」
「突然何を言う?美味しそうなおにぎりだ?ボクがおにぎりに化けて庄吉タヌキはどうするつもりだ?」
「・・・・いや、別に・・・。」
「別に、って何だ?何か怪しい!」
疑いの眼差しで庄吉タヌキを凝視する尚五郎タヌキであった。
「いや、ただ俺は美味しそうなおにぎりを見てお腹を満たした気になりたいだけさ。」
「本当かなぁ~、なんか嘘っぽいなぁ~。本当はおにぎりに化けたボクを喰うつもりじゃないだろうな?」
「そ、そ、そんな事あるかい!俺がそんな事する人間に見えるか?
尚五郎タヌキは俺の大切な友達じゃないか!ただ俺は想像力が無いし、心の中で美味しいおにぎりを描けないからお前におにぎりに化けてくれ、って言ってるだけさ、信じてくれよ。」
「分かった!ホントに喰わないんだな?それじゃァ庄吉タヌキを信じてやってみるよ。 ポン!!」
「わぁ!美味しそうで大きなおにぎり!それじゃひとつ。」
と手に取って食べようとする庄吉タヌキ。
だがよく見るとおにぎりの後ろに、毛むくじゃらな尻尾が見える。
「何だよ!尻尾があるじゃないか!もっとちゃんと化けろよ!!」
「ポン!!・・・ってお前今、ボクを喰おうとしただろ?なんて奴だ!何が友達だ!友達を喰おうとする奴を友達って言えるか?もう信じられない!!」
「それは誤解だよ!無二の親友を喰おうとする訳ないじゃないか!失礼な奴!!」
「怪しい・・・。怪し過ぎる・・・。」目を細めて警戒する尚五郎タヌキであった。
なんておバカなふたり。
一方権蔵タヌキは苦し紛れに、ある一計を思いつくに至った。
実に情けない事ではあるが、おせんタヌキの助けを借りようと云うのだ。
おせんタヌキは未だ人間界で、お地蔵さまとおミヨちゃん達との関係を維持している。
その良好な関係に乗っかり、自分達も救済して貰おうと云うのだ。
そう思いついた権蔵タヌキは直ぐさま行動に出る。
ホントは空腹で眩暈がするが、何とか里に下りお地蔵さまに化けた おせんタヌキに会い、紙切れを渡す。
「なぁ、おせんタヌキ、済まないがこの紙をお前の足元に置かせてくれないか?」
「権蔵タヌキ兄さん、分かったわ。でもこの紙には何て書いてあるの?」
「これはね、飢饉で困っているお山のタヌキの窮状を人間たちに訴えて、助けを求める内容が書かれているんだよ。
これを読んでくれた人間がもしかしたら、自分達タヌキ界を救ってくれるかもしれないからね。
そんな望みを託した大切な紙なんだ。
だから申し訳ないけど、おせんタヌキも協力して欲しい。
但しこの紙は葉っぱを化かせただけのものだから、紙に化けていられるのは今日一日だけなんだ。
もちろん私が紙を持っている訳がないし、人間の文字が書ける訳もないからね。化かしの術で読んでくれる人間の意識に直接訴えるよう、呪文を施した紙、もとい、葉っぱなんだよ。」
「そうなのね、分かった!私も心から応援の念を送って、この紙が人間の手に渡るよう頑張ってみるわ。」
「ありがとう!恩に着るよ。」
そう言って権蔵タヌキはお山に帰る。
そしてそのやり取りを、隣のお地蔵さまもしっかり聞いていた。
もちろんお地蔵さまも全力で応援してあげようと決心したのは間違いない。
それから間もなくいつものように、おミヨちゃんと慎太郎が示しを合わせて逢引しに来た。
お地蔵さまの前で毎度毎度イチャイチャするのはどうかと思うが、まあ物語の進行の都合上仕方ない。
いつものようにお地蔵さまと、おせんタヌキが化けた似非お地蔵さまにお供物を供えようとすると、ふと先ほど権蔵タヌキが託した紙を見つける。
「あら、何かしら?」
「え、どれどれ。」
そう言って読んでみると、そこにはタヌキ界の窮状が書かれている。
ふたりは読み終えると同時に「フッ!」と笑った。
「えぇ?これタヌキが書いたの?ウソみたい!!」
「ホント、ウソだろ?何かの冗談じゃない?本当とは思えないよ。これをタヌキが書いたなんて。」
でも何度も読み返してみると、その文章は差し迫った窮状が真剣に訴えられていて、あながちウソや悪戯とは思えなくなってくる。
「もしこれが本当なら、タヌキたちが可愛そう。どうにかしてあげたいわね。」
「そうだな、食べ物が無いなんて悲惨過ぎるしな。
でもどうしてそんなに困っているのに、人間の畑を荒らしに来ないんだろう?」
おミヨちゃんも慎太郎も知らなかった。
タヌキ界では、決して私利私欲で人を騙してはいけない厳しい掟がある事を。
一度信頼を失うと、二度と取り戻せないことを。
だから例え自分が飢え死にしても、人間に悪事を働いてはいけない。
次世代のタヌキたちが、人間と良好な平和共存を維持するために。
おミヨちゃんと慎太郎は早速その紙を村の長に見せ、どうすべきか指示を仰いだ。
村の長は少しだけ考え、
「この内容は俄かには信じられないが、もし本当なら深刻な問題に発展するやもしれない。
これが現実なら、飢餓のお陰でお山の生態系が崩れてしまう恐れがあるからな。
そのせいでイナゴが大量発生し、大事な畑が全滅しては目も当てられん。
早急に実態を調べ、対策を取らなきゃの。」
そう言って村の若い衆にお山の実態を総出で調査・観察させた。
素人が見ただけで木の実の不作などが見て取れ、想像以上の深刻さであるのが分かる。
「これはここのお山だけの事かの?
もし四国全体のお山が同じ状態なら、ここだけが対策をとっても無意味じゃな。さて、どうしたものかの?」村の長は困惑した。
すると慎太郎が進言する。
「四国の島全体の問題なら、県庁に訴えるなり、四国新聞にこの問題を訴える投稿をしたらどうでしょう?」
「それは良い考えじゃな。よし、そうする事にしよう。」
こうして四国中の人間界にお山の問題が知れ渡り、早急に調査して対策を講じる流れが出来上がった。
四国中の村人たちが、できる限りお山の動物たちのため、餌をあちらこちらに供え、飢え死にしないよう継続して計らった。
元々四国には『お接待』と云って巡礼者をもてなす習慣がある。
心優しい人々はお山の動物たち救済をすんなり受け入れ、実行した。
こんなに万事上手くいくなんて、訴えの元となった当の権蔵タヌキも大層驚く。が、しかし、それにはお地蔵さまの応援と神通力が大きく作用したことまでは想像できていない。
ただただ人間たちに手を合わせ、ひたすら感謝する。
そしてタヌキたちは、無事この生命の危機である大飢饉を生き延びることができた。
この一件はその後のタヌキ界に数十年間もの何世代に渡り語り継がれ、感謝の気持ちを持つ事を心に強く刻み、引き継いだ。
つづく