うららかdiary

思いのままに綴ります☆

金環蝕

2009-04-21 21:09:34 | Weblog
15年以上前の舞台。
中島みゆきさんの「夜会」のなかで、私は個人的にこれが最高作品だと思っている。

その前の年の「邯鄲」も中島みゆき版“不思議の国のアリス”のようで可愛らしくて大好きだけれども。

「金環蝕」は天岩戸に隠れてしまった太陽神アマテラスのお話。
特に、「EAST ASIA」~「二隻の舟」~「DIAMOND CAGE」までの流れは、多くの人を勇気づけるのではないだろうか。
今、いい流れに乗っている人も、傷ついて涙を流している人も。

この舞台が演じられた90年代前半よりも、今のほうがなんとなくしっくりくる感じがします。

「悲しみは誰をも救わない。憎しみは誰をも救わない。」
「地上に悲しみ、憎しみが尽きる日はなくても、それにまさる笑顔がひとつ多くあればいい。」
悲しみは悲しみとして、憎しみは憎しみとして。
消そうとせず、飲み込まれることなく。ごまかすことなく。

「大きな力に従わされても、こんな力だけで心まで縛れはしない。」
どんな支配力にあっても、心までは渡さないように。
あきらめないでいて。己の信念を持ち続ける。

・・そんな感じのことがたくさんちりばめられている気がします。

そして最後には「嘆きの底から笑えてこそ笑顔さ」と最高の笑顔で歌うみゆきさん。

まだみゆきさんがローソク1本のライトで歌えると言われていた頃、
ある評論家か学者が、みゆきさんの歌の世界を「諦念」だと書いた文章を読んだ記憶がある。
私は「諦念から始まっているあきらめなさ」なのではないかと思う。
「諦めの悪さ」を超えた「諦めることを諦めたところからのスタート」とでもいうのか。

「金環蝕」に出てくる女性たちは
どこまでも強く、そして、どこまでも優しい。
この上ない女神性をみせてくれているかのよう。

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ただ一つ。アマテラスがアマテラスであるゆえに、大変だったろうなと思ったこと。
アマテラスは引きこもりたくても、思いきり引きこもれなかったのではないかと。
・・あまりに身辺明るすぎて(笑)。

高天原は真っ暗闇でも、自分の周りに闇を持って来れなかった。胸の中には深い深い闇が存在したというのに。
引きこもりたいときは、暗いところのほうが適しているように思います。
そう。
闇にいるときに、無理に明るい所へ出るとつらいもの。
無理に明るく振舞おうとするとなおつらいもの。
闇には闇の良さがあるから。

だから、明るいところで引きこもらざるをえなかったアマテラスを思うと、少々気の毒に思えたりもしたのであります。
勝手な感想です。

コメント
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