ちょっとした本を知りました。
どういうお世話をしているのか興味がありますので、買ってみようかな?
「障害犬タローの毎日」
広報板のスタッフのりんママさんが「障害があるから、可哀想だというのは当人(犬)にとって見下されることで本当に失礼な話なんですよね。」って。
そうなのね。
端から見たら「障害がある=かわいそう」なのかもしれないけれど、太郎は普通に暮らしているだけなのね。
以前全盲のピアニストの梯さんが「ボクにとっては、目が見えないことが普通なんです。」と言ってらした。
それを聞いてかーさんは「ああ、そうなのよね。自分の普通が、必ずしも誰とっても普通ではない。その人なりの普通があるものなのね」と思いました。
彼は生まれつき見えなくて、明るい暗いを感じる程度。その代わりに神様は、すばらしい感性を与えてくださった。
彼の演奏は、小川にお陽さまの光がキラキラ輝くような、きらめきを感じるのですよ。見えないのにどうして知っているんだろう?と不思議に思ったものでした。
そんなものですね。人が自分の基準で考えるような事はないのです。
太郎も普通の犬です。
単に「手足がない」という個性を持った犬なのです。
もちろん生きていくのには、人の手助けが必要ですが、それは人間だって同じ。
どんな人間だって、一人では生きていけませんね。
みんなみんなお互いに、誰かに助けてもらったり、支えてもらったりしているのです。
太郎は皆に笑顔や勇気ややさしさを与えているようです。
ね、ちゃんと太郎もだれかを支えているでしょう?
もしかしたら、太郎は人に生きることを考えたり、生きる勇気を与えているかもしれない。
ならば、太郎の「してもらうこと-してあげること=」の値は、プラスかもしれませんね。
もっとも動物たちは、ありのままに生きることで、どの子も人に対しての収支は+なのですけれどね。
ともあれ、太郎はこもり動物病院の当たり前の家族です。
「ボクは特別な犬なんだ」なんて、夢にも思っていないでしょうね。
毎日「そのままに」生きているのですものね。
あ、我が家のウサウサずも「当たり前に、そのままに」生きていますね(^^)
こちらも 元気にわんさか咲いてます。
植物も、自然のままに気負うことなく・・・ですね。
どういうお世話をしているのか興味がありますので、買ってみようかな?
「障害犬タローの毎日」
広報板のスタッフのりんママさんが「障害があるから、可哀想だというのは当人(犬)にとって見下されることで本当に失礼な話なんですよね。」って。
そうなのね。
端から見たら「障害がある=かわいそう」なのかもしれないけれど、太郎は普通に暮らしているだけなのね。
以前全盲のピアニストの梯さんが「ボクにとっては、目が見えないことが普通なんです。」と言ってらした。
それを聞いてかーさんは「ああ、そうなのよね。自分の普通が、必ずしも誰とっても普通ではない。その人なりの普通があるものなのね」と思いました。
彼は生まれつき見えなくて、明るい暗いを感じる程度。その代わりに神様は、すばらしい感性を与えてくださった。
彼の演奏は、小川にお陽さまの光がキラキラ輝くような、きらめきを感じるのですよ。見えないのにどうして知っているんだろう?と不思議に思ったものでした。
そんなものですね。人が自分の基準で考えるような事はないのです。
太郎も普通の犬です。
単に「手足がない」という個性を持った犬なのです。
もちろん生きていくのには、人の手助けが必要ですが、それは人間だって同じ。
どんな人間だって、一人では生きていけませんね。
みんなみんなお互いに、誰かに助けてもらったり、支えてもらったりしているのです。
太郎は皆に笑顔や勇気ややさしさを与えているようです。
ね、ちゃんと太郎もだれかを支えているでしょう?
もしかしたら、太郎は人に生きることを考えたり、生きる勇気を与えているかもしれない。
ならば、太郎の「してもらうこと-してあげること=」の値は、プラスかもしれませんね。
もっとも動物たちは、ありのままに生きることで、どの子も人に対しての収支は+なのですけれどね。
ともあれ、太郎はこもり動物病院の当たり前の家族です。
「ボクは特別な犬なんだ」なんて、夢にも思っていないでしょうね。
毎日「そのままに」生きているのですものね。
あ、我が家のウサウサずも「当たり前に、そのままに」生きていますね(^^)
こちらも 元気にわんさか咲いてます。
植物も、自然のままに気負うことなく・・・ですね。
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