この番組は見る積りは無く録画予約もせずにいた。
正直見たくない部分も有り外していた。しかし奥さんと娘が見ていた。
途中から見始めたが涙があふれてどうしようもない場面も多く有った。
当時私は社会人5年目になろうとしていた。被災後の神戸の街を数回
大阪から救援物資や安否確認のため訪問した。消防士の話としては
ポンプ車が有っても水が無く消防活動が出来ず無念な思いをしたと言うような
話は聞いた事が有った。
今回TVで消防士の無念さや活動につて取り上げられたが、私のお世話に
なった方達の活躍は世に知られていないのでココで少しお話ししておきたいと
思います。
コンピュータのメンテナンスにはSEとCEが不可欠です。その中で震災では
CEが大活躍をしています。たとえば市役所や銀行など震災とは無関係に
継続業務を行わねばならない業種のコンピュータは早期回復が必要です。
被災してセンター内でコンピューターがひっくり返っていたりへっこんだり、
スプリンクラーで水浸しになったなんて話がたくさん有ります。
ちなみにその水浸しのコンピューターの基盤をドライヤーで乾かして
稼働させたら無事に稼働したそうです。
当時のディスプレイはブラウン管型で、N社のディスプレイは全部画面が
下に成って落下して割れたためディスプレイが無い!とかH社のは枠が
壊れただけなんて話が有りました。
それらをCEさん達は自分達も被災していながら復旧させるため事務拠点に
缶詰めになって対応されていました。
一番印象に残ったのは、そのCEの拠点を訪れた時だ。彼らが拠点にしている
ビルのすぐ近くの線路上にポートライナーは停まっていた。そしてそのビルは窓と
窓の間にひび割れが入って、全ての窓が繋がっていた。一瞬そのビルへ足を
踏み入れることを戸惑う程、暗くて倒壊しそうなビルだった。
ビルの蛍光灯は灯いておらず自家発電で電球を灯していた。その中で
何十人もの男達が次の指示が出るまで一時休息に戻って来ては指示を得て
活動先へと向かって行った。どの顔も真っ黒で疲れ切っており不眠不休で
活動されていることが良く解った。またそんなビルなので休息とは形だけで
休息にもならず仮眠を取るにも床にそのままのようだった。
食事もコンビニのおにぎり程度で済まされているようで健康が心配だった。
この時は営業として心から感謝しました。その後SEも同様に回復に向け
詰め込んで対応した事は言う間でも有りません。
彼らがそれだけの活躍をしてくれたお蔭でコンピュータの回復も当初何か月も
かかると思われていたのだが、早期回復する事が出来た。顧客から感嘆と
感謝をされたモノです。
消防士や自衛隊など公務員の活躍が取り沙汰されますが公共のガス水道
電気やコンピュータなどインフラ周りの復旧に活躍された方達の事も忘れずに
いて欲しとこの記事を書きました。
解り難い長文で恐縮ですが、私が実際に体験したり耳にした彼らの活躍の
一部をご紹介しました。
あとがき
普段厳しく私を叱ってくれたCEの方達はこういう時に頑張り過ぎられて
しまいます。そのため震災後しばらくして過労で倒れられ・・・と言う噂話を
聞いてしまったりします。そういう方達は厳しさの中にも優しさが有り、
いつも見守ってくれて、いつも助けてくれました。その方達に震災後
1度も会えていません。噂話は噂としていつかその方達とお会いしたいと
思っております。