前チャリで通った時には気づかなかったけど、ブラブラと歩いていて「あらっ?」と見つけた、面白いところです。
「史跡 生洲址」となっ?
場所は、昔風にいうと兵庫の南浜(みなみはま)。近くには、今でも"南浜漁協"というのがあります。
「兵庫の生洲」の解説文
だいたい、こんなことが書かれていました・・
江戸時代の兵庫は活け魚でも知られ、当地の宿泊客や京・大阪の市場に早船で売り出して好評だった。
寛政八年(1796)の「摂津名所図会」は、魚市のほかに南浜の今出在家町にあった「兵庫生洲」を絵入りで紹介し、長さ十三間、幅四間(24m X 7m)ほどで、屋根を持ち、潮水をたたえた池中には鯛(タイ)・鱧(ハモ)・鱸(スズキ)ほかさまざまな魚が飼われていると記している。
この生洲からは、しけや不漁の時に活け魚を市場に供給したほか、京の御所からの調達にもここから魚を献上したといい、また旅の名所である。
当地が、江戸時代に瀬戸内海航路の東端の港として賑わった兵庫の津の貴重な生洲の址である。・・田辺真人
こちら「摂津名所図会」の絵ねっ
「へ~っ!」
"トレトレ!ぴちぴち!"を網ですくってますがな~!
江戸時代もおいしい魚食べてたんですね~。
近くには大正時代の終わり頃に
海岸を埋め立てて出来た中央卸売市場がありますが・・
江戸時代、すでにこんな場があって、賑わっていたとは・・
驚き!モモの木! で、桜はまだかいなぁ?ですね~。
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場所は、昔風にいうと兵庫の南浜(みなみはま)。近くには、今でも"南浜漁協"というのがあります。
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だいたい、こんなことが書かれていました・・
江戸時代の兵庫は活け魚でも知られ、当地の宿泊客や京・大阪の市場に早船で売り出して好評だった。
寛政八年(1796)の「摂津名所図会」は、魚市のほかに南浜の今出在家町にあった「兵庫生洲」を絵入りで紹介し、長さ十三間、幅四間(24m X 7m)ほどで、屋根を持ち、潮水をたたえた池中には鯛(タイ)・鱧(ハモ)・鱸(スズキ)ほかさまざまな魚が飼われていると記している。
この生洲からは、しけや不漁の時に活け魚を市場に供給したほか、京の御所からの調達にもここから魚を献上したといい、また旅の名所である。
当地が、江戸時代に瀬戸内海航路の東端の港として賑わった兵庫の津の貴重な生洲の址である。・・田辺真人
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「へ~っ!」
"トレトレ!ぴちぴち!"を網ですくってますがな~!
江戸時代もおいしい魚食べてたんですね~。
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海岸を埋め立てて出来た中央卸売市場がありますが・・
江戸時代、すでにこんな場があって、賑わっていたとは・・
驚き!モモの木! で、桜はまだかいなぁ?ですね~。