(前回 (ブログ 見えないブロック(その2))からの続き)
今思うと
今回の買い物をする中で終始感じていた
“恥ずかしさ”とは
中年男性が
女の子の行くお店に行って、女の子の好むものを購入する
という、きまりの悪さから
自分を裁いてしまったため
生じたのかと思います。
また、もしも
他の誰かが、今回の自分と同じことをしていて
その人に対して、きまりの悪さ、違和感を感じたとしたら
その人や、その人の行為を批判的に見ていた(裁いていた)
のかも知れません。
この何かを裁く基になっているものは
「男は〇〇であるべきだ」
「女のくせに△△だ」
「××は◎◎でなければいけない」
などといった、何らかの規範であり
生まれ育ってきた環境の中で
無条件に植え付けられてきたものだったりします。
そして、それは
自分の無意識の部分に影響を及ぼしていたりすることがあります。
今回、もしも私の心が
思い込みのないニュートラルな状態であったならば
恐らく、恥ずかしい気持ちにはならなかったのかと思います。
今回の買い物によって
ニュートラルな心やニュートラルな見方を難しくさせる
自分の中にある
“見えないブロック”
に気づくことができました。