トレーナー、セラピストがクライアントさまの行動、思考を変えようとしない。
クライアントさまが持つ価値観や、存在そのものを受け入れる「承認」が大切。
上司、親、先生といった立場を利用し「こうあるべきという主観」をかざして
「変えた」気になるのは双方にとって危険。
人の身体も同じですよね。
「身体が硬いから、トレーナーがストレッチをする。」
身体の声を聞かず、スクリーニングをせず、
「身体が硬いから筋肉をストレッチする」という主観をかざすと身体は抵抗する。
グレたヤンキー中学生に例えてみます。笑
グレるのには理由があるわけですし、
しっかりと「声」を聞いてあげるのが大切ですよね。
声を聞かずに矯正なんかしてしまうと反発するか、
抑え込まれた「いい子」になってしまう。
身体の場合、反発は痛みを生み、
「いい子」に抑え込まれたままだと、いずれ思いもしないような症状として発症する。
身体に触れさせていただくことで、身体から教えてもらえる情報。
「どうして欲しいのか?」
「答えはトレーナーやセラピストではなくクライアントさまが持っている」という考え方。
そうなると、トレーナーやセラピストが感じているストレッチの際のエンドフィール(→Ib抑制)ですら懐疑的に考えてもおもしろい。
筋肉がストレッチされて、これ以上伸ばすとキツく感じ始めるのがエンドフィール。
例えば、1000本の使い込まれたゴム紐があるとします。
そのうち、10本は劣化して弾力性を失っています。
しかし、1000本を束でストレッチしていくと、
劣化した10本がちぎれてしまったり「これ以上伸びない!」という違和感を見逃していることがある。
この場合、990本のストレッチ感をエンドフィールと感じるか?
それとも、最初に限界を感じ始める、劣化した10本をエンドフィールと感じるか?
1000本のうちの10本がちぎれる事で、身体の流れが変わると捉えるか?
10本くらい気にしないと捉えるか?
どちらも間違えではないですし、
大切なのは、原理原則の上に構成されたトレーナー、セラピストの哲学だと考えています。