10/27の夜に
東京芸術劇場コンサートホールに
トスカを観に行きました。
映画監督の河瀬直美さんが
演出をすると 話題になっていたものです。
8月の『セヴィリアの理髪師の結婚』
のバルトロ役 三戸大久さんがスカルピア、いえ
須賀ルピオを、
バジリオ役の森雅史さんがアンジェロッティ、いえアンジェロッ太を
歌うというのでチケットを2ヶ月前から購入していました。
ネット上の宣伝やインタヴューによると
救いのないオペラに希望を持たせる演出を望まれたとか。確かに、トスカは、いや、プッチーニのオペラのほとんどは最後なんともやりきれなさが残るものばかり。これに希望を、というものも興味がありました。
東京公演も終わったので
感想も解禁でしょうか?
これから観る方はネタバレ注意です。。
この作品、設定をローマを古代の日本にうつして名前や職業なども変えているということでしたが始まってみると、シャーマンであってもカヴァラドッシは絵を描いているし、アンジェロッティは逃げ込んでくるし、見た目はいつものトスカです。教会でなく日本の神様を崇めているので柏手を打っているとか、背景に富士山が見えるとか、そういうことは信仰があるということで共通なので気にならず。
イタリア語の歌詞も変わっていないから、やはりもとの設定にしか見えないのです。トスカがプログラムにトス香と書かれていても音で聞けば同じだから、これは演出をつける上での内面的な設定で観る人にはあまり分かりませんでした。
だから私には逆に違和感ばありませんでした。
これが褒め言葉か否定的な事なのか、
観た人、関わった人の受け取り方にお任せします。とりあえず私は否定的には使ってはいません😊
そして背景の映像。
綺麗でした。
2幕は映像の意味を考えると
よくわからないことになったので
(プログラムには特に演出ノートもない)
これは五感に任せよう、と思いました。
でも一幕、三幕は素直に受け入れられる映像で
全幕通しても映像が
舞台に光を与えていた気がします。
映像の動きが変わるタイミングや登場人物のシルエットの動きなどが音楽にぴったりあっていて、こういうことは映画監督として細かく指示があったのかとおもいました。
映画監督としての特徴としてはやはり演技が細かい、出演者、特に主要なキャストに対しては映画で撮っても通用するほどの人物の掘り下げや演技を求めたかと思うほどの2幕。
三戸さんの須賀ルピオ(文字で書くと違和感あります💦)の異様な興奮とトスカの追い詰め方、外国人キャストのトス香と万里生も全幕通し通して演劇的なものと歌唱が通常のオペラの大袈裟過ぎる舞台演技ではなく、ドラマを観ているような自然さ、そして、当たり前ですが本物の声。
オペラって、いいなぁ
人の声って素晴らしい。
多分この公演の一番の好みの分かれるところは
ラストシーンでしょう。ここまでは、須賀ルピオが死んだときの背景にびっくりした事、幕がないから?の彼の退場方法に驚いた事、くらいしか特別気にならなかったのですが、ラストシーンは私には四分の一位受け入れられなかったです。
曲のカットは許されるものもありますが曲の挿入はありなのか?この疑問と葛藤が拭えないのは頭がかたいのかな😅
でも希望を残すラストシーンとしては成功だと思います。あの追加が絶望しか感じないラストシーンに、トスカが死ぬ前にあんな事を思って身を投じたのかもしれないと思ったら少し見方も変わるし、或いはスクリーンの姿から鳥や女神になったかとも思えるような気がします。
この演出の主旨が希望であり、これは河瀬直美さんの演出だ、とするならば唯一無二のトスカであり、これでよいのだと。他には真似されない伝説のトスカなのだと。
結局このラストシーン以外は
設定などはあまり関係ない気がしました。
オペラがオペラたる所以は
素晴らしい作品が
素晴らしく演奏されることが
絶対に必要条件で、
演出はどうあってもトスカはトスカなんだなぁと。
三戸さん、素晴らしかったです✨
一幕終わりから二幕、スカルピアにこんなに注目したトスカは初めてかも。
森さんも冒頭の熱演で観客をオペラの世界へ誘ってくれたました。
でもここで前提に戻って考える。
トスカに希望を与える演出って
制作側の要望だったのだろうか?
演出家が読み取ったものなんだろうか?
絶望的であればあるほど
カタルシスを感じる時もある。
トスカの悲劇に浸りたいと思う私もいるのだ。
希望を与える必要ってあるのだろうか。。
観に行った人がみんな入り口の看板で写真を撮っていました。私は携帯バッテリーが切れて😭
残念でした!

仕方なしにプログラムの写真を。
この中の寺倉正太郎さんの文章、トスカがかなり昔から日本の歌舞伎や新派劇、落語、映画、新劇に取り入れられていたこと、初めて知りました❣️
勉強になりました😊😊
このプログラムの表紙、
実は大いなるネタバレだということ
今になって分かるのでした。
シーッ!
東京芸術劇場コンサートホールに
トスカを観に行きました。
映画監督の河瀬直美さんが
演出をすると 話題になっていたものです。
8月の『セヴィリアの理髪師の結婚』
のバルトロ役 三戸大久さんがスカルピア、いえ
須賀ルピオを、
バジリオ役の森雅史さんがアンジェロッティ、いえアンジェロッ太を
歌うというのでチケットを2ヶ月前から購入していました。
ネット上の宣伝やインタヴューによると
救いのないオペラに希望を持たせる演出を望まれたとか。確かに、トスカは、いや、プッチーニのオペラのほとんどは最後なんともやりきれなさが残るものばかり。これに希望を、というものも興味がありました。
東京公演も終わったので
感想も解禁でしょうか?
これから観る方はネタバレ注意です。。
この作品、設定をローマを古代の日本にうつして名前や職業なども変えているということでしたが始まってみると、シャーマンであってもカヴァラドッシは絵を描いているし、アンジェロッティは逃げ込んでくるし、見た目はいつものトスカです。教会でなく日本の神様を崇めているので柏手を打っているとか、背景に富士山が見えるとか、そういうことは信仰があるということで共通なので気にならず。
イタリア語の歌詞も変わっていないから、やはりもとの設定にしか見えないのです。トスカがプログラムにトス香と書かれていても音で聞けば同じだから、これは演出をつける上での内面的な設定で観る人にはあまり分かりませんでした。
だから私には逆に違和感ばありませんでした。
これが褒め言葉か否定的な事なのか、
観た人、関わった人の受け取り方にお任せします。とりあえず私は否定的には使ってはいません😊
そして背景の映像。
綺麗でした。
2幕は映像の意味を考えると
よくわからないことになったので
(プログラムには特に演出ノートもない)
これは五感に任せよう、と思いました。
でも一幕、三幕は素直に受け入れられる映像で
全幕通しても映像が
舞台に光を与えていた気がします。
映像の動きが変わるタイミングや登場人物のシルエットの動きなどが音楽にぴったりあっていて、こういうことは映画監督として細かく指示があったのかとおもいました。
映画監督としての特徴としてはやはり演技が細かい、出演者、特に主要なキャストに対しては映画で撮っても通用するほどの人物の掘り下げや演技を求めたかと思うほどの2幕。
三戸さんの須賀ルピオ(文字で書くと違和感あります💦)の異様な興奮とトスカの追い詰め方、外国人キャストのトス香と万里生も全幕通し通して演劇的なものと歌唱が通常のオペラの大袈裟過ぎる舞台演技ではなく、ドラマを観ているような自然さ、そして、当たり前ですが本物の声。
オペラって、いいなぁ
人の声って素晴らしい。
多分この公演の一番の好みの分かれるところは
ラストシーンでしょう。ここまでは、須賀ルピオが死んだときの背景にびっくりした事、幕がないから?の彼の退場方法に驚いた事、くらいしか特別気にならなかったのですが、ラストシーンは私には四分の一位受け入れられなかったです。
曲のカットは許されるものもありますが曲の挿入はありなのか?この疑問と葛藤が拭えないのは頭がかたいのかな😅
でも希望を残すラストシーンとしては成功だと思います。あの追加が絶望しか感じないラストシーンに、トスカが死ぬ前にあんな事を思って身を投じたのかもしれないと思ったら少し見方も変わるし、或いはスクリーンの姿から鳥や女神になったかとも思えるような気がします。
この演出の主旨が希望であり、これは河瀬直美さんの演出だ、とするならば唯一無二のトスカであり、これでよいのだと。他には真似されない伝説のトスカなのだと。
結局このラストシーン以外は
設定などはあまり関係ない気がしました。
オペラがオペラたる所以は
素晴らしい作品が
素晴らしく演奏されることが
絶対に必要条件で、
演出はどうあってもトスカはトスカなんだなぁと。
三戸さん、素晴らしかったです✨
一幕終わりから二幕、スカルピアにこんなに注目したトスカは初めてかも。
森さんも冒頭の熱演で観客をオペラの世界へ誘ってくれたました。
でもここで前提に戻って考える。
トスカに希望を与える演出って
制作側の要望だったのだろうか?
演出家が読み取ったものなんだろうか?
絶望的であればあるほど
カタルシスを感じる時もある。
トスカの悲劇に浸りたいと思う私もいるのだ。
希望を与える必要ってあるのだろうか。。
観に行った人がみんな入り口の看板で写真を撮っていました。私は携帯バッテリーが切れて😭
残念でした!

仕方なしにプログラムの写真を。
この中の寺倉正太郎さんの文章、トスカがかなり昔から日本の歌舞伎や新派劇、落語、映画、新劇に取り入れられていたこと、初めて知りました❣️
勉強になりました😊😊
このプログラムの表紙、
実は大いなるネタバレだということ
今になって分かるのでした。
シーッ!