鼻水、咳、くしゃみと微熱の絶不調でしたが、むしろ生きていく上でのたじろがない強さを女川の女性たちからもらってきました、、コンテナハウスのアトリエは冷凍室のように寒くて入ることもできませんでした、、もう一つの町民課が管轄している集会室では
仮設の方々が健康診断をしたり、輪になっての楽々体操教室や
お茶をのみながらのおしゃべり会など継続的に活用されているもようでした。
アトリエに暖房と給湯器とカーテンとスリッパがあれば、女性たちの手仕事の場としての活用も可能になるとおもうのですが、、傘布でカーテン作りに挑戦しようかな、、スリッパはできないけど、布草履なら、、できるかも
ペレットストーブはとどくらしいので後は給湯機ですが、取りあえず 湯沸かしポットをおくりたいものです。
千住先生もう一踏ん張りして給湯器おくっていただけないものでしょうかねっ!
ホントニ寒々としていて春も大分あたたかくならないとあのアトリエはあってなきがごとき状態でそれではあんまりサミシシスギマス、、でした。
女川は平地が極端に少なく、仮設住宅は石巻方面まで45箇所ほどあちこちに点在しており、その仮設ごとに集会室があり、生涯学習課は毎週水曜日はそこで
撫子会というみなさんの元気確認もかねた会を催しているようです。
今回は女川生まれの佐藤美枝さんという「心を折結び、包む専門家」さんが仙台から来て下さり、風呂敷講座をしました。
といっても誰も彼もが津波にながされてしまい、一枚も風呂敷の持ち合わせがありません、あちこちからかき集めた風呂敷を大中小と三枚、プレゼントするところからこの講座は始まりました。素材や柄、手触りを楽しみながらおもいで話に花がさきながらそれぞれが思い思いの風呂敷を選び、包み方を学ぶのですが、
89才から42才までの女性たちはてんでに自分の話で盛り上がり、殆ど講座というよりはそれぞれの世界の開陳がメーンな雰囲気でした。それでも微妙に会話にバランスがとれており、和気藹々であることにはかわりなく、途中、外国人の訪問があったり大量のミカンの差し入れがあったりで包み方についてはあんまり学ぶ事はなかったものの、それ以上に、一人一人の個性が際だち、そのたくましさにこちらがたじろぐほどでした。風呂敷講座のあとは阿波踊りで普段動かさない身体をうごかすことになったものの、いや~~わたしたちは「えのしま音頭」が得意なんだわ~~と生涯学習課さんが用意した阿波踊りからアカペラでの「えのしま音頭」とあいなりました、、
がその歌詞が何とも言えず、心惹かれる内容でした、女川よいとこ黄金の里よ
浜は豊かな漁場、東は太平洋~~、銀波、金波のしぶきがさわぐ~~というような雄大な内容で踊りはゆったりとのんびりしたおなじような振りが続き、トランス状態を招くような感じでした。帰路、佐藤美枝さんの車に同乗させていただき、市民病院内に仮設しているコミュニュテイカフェ「おちゃっこクラブ」にたちよるとそこには
ヒッピーお兄さんのようなOka兄ぃがマスター&、サファー&ミュージシャン&神楽衆がおり彼が作詞した女川漁港というド演歌をタマチャールズの歌で聞き、度肝をぬかれました。メチャクチャカッコイイ演歌でドンだけ彼らが女川を愛し抜いているかが解る歌でした。この歌に振りを付けて盆踊りにしたらさぞよかろうとおもいました。
東京都が引き受ける女川の瓦礫の分別現場を見学させていただきましたが、
町の半分以上が未だ瓦礫の山という印象でした。高台にある市民病院の一階まで
水がきてしまうほどの津波だったのですから、、海際に所狭しとひしめきあっていた家々はひとつのこらず海の藻屑と消えてしまい、銀行に勤める佐藤美枝さんの友人は銀行の屋上ににげたものの、一瞬にして波にのまれてしまい、その瞬間をみてしまっていた友人たちは今もその場には足が向かないといっていました、、
平地の少ない女川は瓦礫をかたづけないことには何も始まらない、民間の土地を借り受けながら瓦礫の処理を担当する遠藤参事はもう町民課でごみの担当を7年間続けておる由でしたが、淡々と目の前にある仕事をかたづけていくタイプの人でした。彼は青森からの出稼ぎだ、、とぽつりと語っていました。
女川は前日から降った雪で到着したときは辺り一面雪景色でした、がお日様は
きらきらと眩しく雪は次第に溶けていきましたが、むき出しの野外での瓦礫分別作業はこの季節相当からだに応える作業だと思います。
特注のコンテナで東京まで一年間かけて瓦礫を移動させる以外に本当に手だてがないのか、聞いてみましたが、近隣にキチンとした焼却炉のある自治体もなく、日常の家庭ごみの処理だけで手いっぱいで、新たな焼却炉建設には膨大なお金がかかり、やはり、コストから考えても今回の選択肢しかなかったもようです。
聞けば、線量調査に使用している線量計は一般の人たちが購入して使用している程度のものらしく、、1時間おきにマニュアルを決めて計測するとはいえ、確実性のたかさではチョット不安な気がしないでもなかったです。
が、地理的条件からかんがえてもあの大量の瓦礫を思えば受け入れざるを得ないだろうと思いました。いまある最善の方法で東京への出荷の準備は着々とすすんでおるようでした。
出会った方々のたくましさにむしろこちらが生きる姿勢を学ぶという感じでしたが
それは仮設から出てくる方々であり、むしろ出てこれない方、出てきていない方々のほうが圧倒てきに多いのだと、、ということは胸に刻みました。
それにつけてもコンテナハウスのアトリエちゃんはあまりに寒そうで
早く活かす手だてを考えてあげたい!です。
この銀行の屋上に避難した美枝先生の幼なじみは波にさらわれた逝ってしまったのだそうだ、、その時の表情すら見える距離に
いた他の友人は今でも、この方角はみれないそうなのだ、、お話をきいただけでも、胸がせまる。
美枝先生の幼なじみ、洋楽好きのクラスメートに先生は愛聴していたCDを山のように持参し、波にさらわれた友人に進呈しておられた。
Oka兄ぃ曰く、神楽はいつでも奉納する、そのきになったらいつでもする。新しい獅子頭が神棚にどっかと居座り、
何かそれは安寧を呼ぶ
Oka兄ぃの三女朝日チャンは震災後に誕生!女川の朝日となって、コミュニュティカフェの看板娘チャンになっておる。
Oka兄ぃの作詞したド演歌「女川漁港」は泣けた、、タマチャールズが生前最後の曲になるそうだ、、震災前の賑わいのある
女川漁港が写っているジャケットがせつない。
この銀行の屋上に避難した美枝先生の幼なじみは波にさらわれた逝ってしまったのだそうだ、、その時の表情すら見える距離に
いた他の友人は今でも、この方角はみれないそうなのだ、、お話をきいただけでも、胸がせまる。
美枝先生の幼なじみ、洋楽好きのクラスメートに先生は愛聴していたCDを山のように持参し、波にさらわれた友人に進呈しておられた。
Oka兄ぃ曰く、神楽はいつでも奉納する、そのきになったらいつでもする。新しい獅子頭が神棚にどっかと居座り、
何かそれは安寧を呼ぶ
Oka兄ぃの三女朝日チャンは震災後に誕生!女川の朝日となって、コミュニュティカフェの看板娘チャンになっておる。
Oka兄ぃの作詞したド演歌「女川漁港」は泣けた、、タマチャールズが生前最後の曲になるそうだ、、震災前の賑わいのある
女川漁港が写っているジャケットがせつない。