侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

 リベンジ!フィールドワーク基礎

2010-02-23 09:56:08 | Weblog
   フィールドワーク基礎

 第一課題 フィールドワークの方法と実践
課題 ① 「地元学をはじめよう」要約

     吉本哲郎 著 「地元学をはじめよう」 要約

 一昨年、韓国はホンソングン、ムンダンニという無農薬合鴨農法を実践している村でキムチ作りを学んでから、友人知人が集まってキムチ作りをするのが恒例になった。その折、偶然にも「地元学をはじめよう」第4章に登場する、当時はJVCのベトナム事務所代表をしておられた伊能まゆさんが、偶々ベトナムから帰省しており、我が家で一緒にキムチ作りをすることになった。彼女とは初対面。全く氏素性も知らないまま、年は随分彼女の方が若いのにフィーリングが合うなあと思いつつ話していると、どうも吉本さんの地元学の考え方が頭に浮かび、その事を話したら、「ええ~吉本さんにベトナムまで来ていただきました!」との事。こんなに身近に吉本さんから薫陶を受けた方がこうして今もその教えをベトナムのナムソン村で実践しておられるとは。本にも予告されていたが、自らNPO 「Seed to Table」を2009年7月に創立し、活動を開始しておられた。
 そのNPOの主旨は概ね以下の内容である。

 『多様な種、多様な生き物の存在こそが生命豊かな世界をつくり、私たちも恩恵をこうむることができる。
地域固有の種を守ることは、私たちの食卓を豊かなものにするだけでなく、地域の文化や生物多様性を守ることにつながる。
次の世代に地域で守られてきた種、種をはぐくむ豊かな自然、そして種を守り育てつないできた知恵や文化を伝えたい。
暮らしを支える豊な自然が残っているか、協働できる仲間がいるか。一つの家族だけではなく、同じ地域に住む人々の共通の課題として取り組むことが必要。安全な食を確保し、自分たちの健康と自然環境を守る。
在来の資源を活かした地域づくりを実施。地域の知恵や文化を守り伝えていくために世代と世代を結ぶ活動に取り組む』

 まさに「地元学をはじめよう」のエッセンスそのものである。
 私が現在住む東京の東に位置する江東区にはもはや種を育むような自然は存在しないに等しい。都会の中で自分の住む地域を知り、よりよく生きる術を探り、新たな芸術を発信して行くには、この書をどう自らに引き寄せれば良いだろうか。種とは単に植物の種だけに限定するものではなく、いのちの源と言い換えても良いのではないかと思う。
 政権交代し、現首相の施策方針演説では「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです。生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい」、新聞、テレビ、国会でも賛否両論があり、揶揄されがちな演説であったが、過去の歴史の中で日本の首長がこのような理念を前面に出した演説をしたことがあったろうか、その後の国会のやりとりを聞いていても、地方特性を活かし、自立した地方自治を築いていくとか、是までの経済優先からブータンのように国民総幸福を願う政治にしていきたいのだとか、是までの国会の議論の中でその様な事を与党が言うと言うことがなかっただけに、ある意味、これからの日本に期待が持てる気がしている。
それは、吉本の言う「結い」や「入り会い」の思想につらぬかれた共同体、コモンズを意味しているのではないだろうか。
 今回、新たに、地元を歩いて見るに辺り、「7つの心がけ」と「3つのまなざし」を、再確認してみた。
 「7つのこころがけ」の中で、むずかしかったのは、③の先入観を捨てて聞く、事だった。つい長くこの地域に住み、地域活動を通じて理解しているつもりの先入観が邪魔をした。
 だが幸いなことに、外の人である若者に同道してもらい、彼女の視点からの質問をしてもらうことで随分自分の気づいていない点に気づかせてもらった。
 ちょっと、伺うつもりが、腰を据えて、話し込んでしまったので家に帰りついた頃はもう辺りは暗くなっていた。おかげで運河に沈みゆく釣瓶落としの美しい夕焼けを目にすることが出来た。この美しい光景も水辺の豊かなこの地域の資源になると思った。
 確かにこの「7つの心がけ」は地域を知る上で沢山の新鮮な事を導き出してくれた。文化施設の職員の方は最初、お役所的な答えだったのが、だんだん、自分が生まれ育った頃の様子やそこでどんな遊びをしたか、かつては二つの区だったところが一つになったので、城東区と深川区では地域特性が違うと思うとか、イージーライダーのような情景があった、と言うお話までしてくれた。また、レストランのマスター夫妻には、水辺の大けやきが風にそよぐ、心地良い外のテラスで、ゆっくりお話しを聞くと、この地域の施設のあり方が、もっと輪郭がくっきりし、内容の深さに気づかされもした。本当に当たり前に住んでいる人こそが一流の生活者だ、ということが納得できた。年を重ねれば重ねるほど、先入観に凝り固まりがちになる。
様々な方々に無心に耳を傾けることで、同じく住むこの地域の違った側面を気づかせていただいた。
 「3つのまなざし」で考える
 江東区という都会において ①つなぐ、②重ねる、③はぐ と言うまなざしをどう捉えればいいだろうか。
 以前、深川江戸資料館どおりにある古びた感じのお蕎麦やさんに、入ったことがある。そこの座敷はやけに高く、土間のテーブル席を見下ろすようなお大名の席のような高さである。あまりに不思議だったので店主に伺ったところ、水害対策の名残なのだそうだ。それぐらい高くしておかないと浸水してしまうために、異様に高くなっているのだそうだ。
 確かに、江東区のキャッチフレーズは「水彩都市」と言われているように、運河、河川が多い。昭和24年のキティ台風の頃まで、幾多の水害にみまわれてきた。それ故、至る所に、水門、閘門が設置されている。
 まさに舟運一つでも、つなぐ、重ねる、はぐ 視点で眺めていくと、現時点では見えなかったことが見えてくる。その見えなかったことの中に、大きな資源が隠されてもいる。
 こうしてみると何とも多様な資源を持つ地域であることに気づかされる。江戸の面影、歴史と文化的側面、文学的側面、水や塩の道の歴史、神社や仏閣のある路地裏や商店街、さらには海にも面している。
 地域を自覚することで、当時者としての自分が、自分のことは自分で、地域の事は地域でやっていくための力量に繋がって行くのではないか。
 このことが、まずはスタートの起爆力となり、人が元気で、環境が多様で、経済が元気な地域実現に繋がって行けたらと願う。その事を具体にしていくことが新たな芸術の創成になるのなら嬉しくありがたいことだ。その事はフィールドワーク実践報告の方で述べていきたい。

 
課題 ③ 地域の大切なもの、問題点、課題解決の考察


 はじめに  江東区の歴史と特性
 地元、江東区住吉、大島、扇橋、猿江、毛利を歩く、みる、聞く。
福士さんの話
 赤澤さんの話
 シンフォニーのマスター夫妻の話
 もんじゃ屋ゆうちゃんの店
 まとめ


 はじめに  江東区の歴史と特性

 江東区の歴史を遡れば、江戸時代以前としては、縄文時代後期と見られる土器が亀戸北部に近い所から発見されている。亀戸地区あたりは古くから土地が生成し、人が住んでいたと思われる。それ故、天祖神社や光明寺を始め、歴史ある神社仏閣は亀戸地区、深川地区に集中している。が、江戸期までは殆ど大半が海であった。土地の埋め立て、開拓を経、近代から現代においてはごみの埋め立てによって、土地を増やして来た。はげば、ごみしか出てこないような地域特性でもある。江戸・東京のごみを一手に引き受けてきた。その過程にはごみ戦争もあった。
 その様に海を埋め立てて土地を増やしてきたという大きな地域特性がある。
 かつての代名詞はごみの江東区であったが今や人口も40万人と増加の一途を辿り、住みたい区の上位にランキングされてもいる。

 地元、江東区住吉、大島、扇橋、猿江、毛利を歩く、みる、聞く。

 再度、江東区の中央部分に位置する、住吉、猿江、毛利、大島、扇橋区域をフィールドワークしてみた。
 同道してくれたのは、江東区の城東地区、北砂在住で港区の会社に勤務している片野奈保子さん。片野さんは環境プロジェクト会社に勤務しており、企業のCSRを促し、地域デビューを応援しながら、地域の若いお母さん達とつながりを持ち、絆を深める企画を実施し、江東区の都市計画審議会の区民委員もしている。
 地域を元気にしていくことに関心を持っている30代の若者である。

 福士さんの話

 最初に、我が家から、徒歩5分の所にある芸術文化施設「ティアラ江東」を尋ねてみた。この施設の運営は(財)江東区地域振興会が担っている。区から出向しておられる福士真人さんにお話しを聞いてみた。
 福士さんは、江東区で生まれ育ったそうで、この芸術文化の殿堂に関することだけでなく、福士さんが捉えている区の特性についても語って下さった。昭和22年まで江東区は深川区と城東区に分かれており、それぞれに特色をもっており、統合されて江東区となってからもそれぞれの特色を有していたようだ。
 生まれた所は深川区、通った高校は城東区。現在人気の臨海部エリア豊洲はかつて、工場地帯で貨物の引き込み線が運河の上に架けられた橋梁に続き、まるでスタンドバイミーの世界のようだったと遠くを見つめるようなまなざしで話された。中学生の頃、この辺りは格好の遊び場だったようだ。
 江東区のお気に入りの場所は何処ですかと尋ねると、水辺のあるところだと答えた。新潟に行った居りに、太鼓橋のような橋に遭遇し、たちまち江東区の丸八橋を思い出したそうだ。自転車でこの坂を漕いで登るのはなかなか容易ではないのだ、その身体感と共に思い出すということは、水辺にまつわる記憶がそれだけ濃密ということなのだろう。
 江東区のもう一つの特色としては町会自治会の組織力を上げられた。確かに江東区の津々浦々でこの組織は厳然と機能している。昨年の三月、ごみの分別が30年振りに変更になり、区内にくまなく普及啓発させるのに、町会自治会組織は大いに活かされていた。だが一方では問題も抱えている由だ。
 集合住宅が増え、新住民は町会に加盟しない人が増えている。又組織の担い手の高齢化、それを引き継ぐ若手育成が上手く行っているところと行っていないところもあるようだ。組織運営の中味も刷新を必要としているようだ。
 福士さんのお話しから、江東区全体を視野にいれた、歴史と共に変遷してきた姿や特色を伺うことができた。職業柄、防災課、学務課などを担当してきておられたのでそこでの経験も活かされているお話しだった。

 赤澤さんの話

 小名木川の運河沿いに建っているティアラ江東の裏は心やすまる、広場になっている。その広場を通り、運河沿いの親水公園を辿って、四つ葉のクローバーが開いた様に四方に橋が架かっているクローバー橋を渡り、友人の赤澤夫妻を訪問。彼女は15年ほど前に心臓手術の失敗から半身不随になりそれ以来車倚子の生活になってしまった。太平洋画会に属し、よく、都美術館に出展していた。
 又、江東こども劇場の理事長としても活躍をしていた。その間、劇場の会員が
1000人に達し、全盛期を築いた。子ども達に良質の生の文化に触れさせたい、仲間同士の絆を深めたいと言う趣旨からキャンプや自主活動としてクリスマス会やわんぱくフェスティバル、子ども劇団たぬき座を共にたちあげたりもした。
 何かあると今でも彼女のところを尋ねてお伺いを立てる。辛口なのだが、適切なアドバイスをして下さる。
ベッドの上から見る江東区を聞いてみた。
 以前は良く車いすで近辺を散歩もしていたので、バリアーフリーの不備をなげいていた。ほんの少しの段差も車倚子にはとても負担になること、公共の障害者用トイレが少なく、実際に障害を持った人の話を聞いて作っていないのではと慨嘆していた。障害を持つと一番切実なのはトイレなのだそうだ。
 赤澤さんにも江東区の何処が好き?と聞くと、「川があることだね~、これがなかったらとっくに引っ越していたよ」と言う返事だった。彼女の住むマンションは小名木川に面しており、川風が通り、9階からの眺めは実に素晴らしい。カルガモの親子がその水辺に巣づくりをしており、親子揃っての散歩をとても楽しみにしていたそうなのだが、その巣のある場所にごみの不法投棄が止まないと言う理由から、巣ごと撤去してしまい、カルガモの散歩も見られなくなったと悲しげだった。
 一つ彼女の話の中で印象に残ったことがある。
 子ども劇場の全国大会が佐渡で開催された時の事だ。全国の子ども劇場や東京を始め地方の劇団、人形劇団の人々も集う中、様々な分科会や見学などが企画されていた中で彼女はこの佐渡でしか見られない物、佐渡に住む人びとの話を聞く事にこそ意義があると、かつて銀山があったところや、遊郭で働く女性達の話など地域に住む方々と交流しながら沢山お話しを聞いたそうだ。又その土地のたべもの、
島独特の人形浄瑠璃も見せていただいたそうだ。外の方々は大概、東京からきた劇団の公演を観る方に行ってしまい、「そんな物は帰りゃいくらでもみられるんだから、今、ここでしか観られない物、出会えないものに出会わないでどうすんだよ、」と、当時を思い出して憤慨していた。フィールドワークの基本姿勢を巧まずして教わってしまった。
 
 シンフォニーのマスター夫妻の話

 又クローバー橋を渡り、男女共同参画推進センター(パルシティ江東)の前をとおると、館内でレストラン・喫茶シンフォニーを開館以来運営しておられるマスターに遭遇。「お久しぶり~」、と挨拶を交わす内、奥様も加わり、館が開館した当時から現在の活用の問題点まで多岐に渡ってお話しを聞いた。20年前、開館した当時のことがよみがえってきた。20年前としてはかなり進歩的取り組みだったと思うが、区内の女性活動団体のメンバーも入って、施設設計、がなされ、どのような内容で運営していくかなども話し合われた。館を建てるにあたっては、相当、女性団体の強い要望があり、その女性達がこの館の礎とも言える側面がある。当時の女性達が何でそこまで元気だったのか、マスター婦人の答えは「時代よね、今のように何から何まで全部揃っている時代じゃなかった、何か欲しければ自分達で活動して手に入れるしか無かったのよ。保育園でもバザーをしたり、寝る間を惜しんでクッキー焼いたり、豚汁作りをして、その収益でクーラーを取り付けたりしたのよね。」確かに、私たち団塊世代の女性達は元気だった、区も特別区制度改革がなされ、一般の市と同様、基礎的自治体となった頃と重なり、何か新しい事を始める、自立的な事を始める気運が高まっていた、まさにそんな時代だったのだ。そのエネルギーが今日の江東区を作ったといっても過言ではないかもしれない。
 汚い臭いと言われてきた江東区を住みたい区と言わしめるまで発展させてきたのは行政だけではなく、このような女性達の力もあったのだと思う。だがその発展の背後で見失った物、淘汰されたものもあったことに気づく。

 もんじゃ屋ゆうちゃんの店

 暮れなずむ空に釣瓶落としの夕焼けが沈んでいく橋からの眺めは格別に美しい。 
 産土の猿江神社をお参りし、帰路につこうとしたら、丁度そこは、もんじゃ屋
おむすびの美味しいゆうちゃんの店の前だった。かつての子ども達の社交場でもあった。おばさんの握るおむすびは絶品で何度か集会のある時にお願いをしたことがある。そんな懐かしさもあり、のれんを分けて入ってみた。当時とは全く趣を異にしていた。かつてはこざっぱりとして、整然と片付いていたのだが。
中には既に大分お酒を飲んだおじさん達が4~5人座敷で話していた。
 聞けば、大分前から子どもはうけ入れないようにしたのだとか、子どもの狼藉振りがあんまりなのでとても身体ばかりか気力も持たないからと判断したからだそうだ。 今や、お店は子どもから、地域のおじさん達のたまり場と化していた。
 おじさん達にとって、おばさんは叱ってくれるお母さんの様だった。そんな風に真剣に怒ったり、面倒を見てくれるおばさんのお店はある意味で癒しの場なのだろうなあと察した。
 時代と共にかわるのだ、だが、それはそれで必要とする人が居て、お互いに支え合っている関係性がある。少しうら寂しい思いもしたけれどそれが事実なのだ。

 まとめ
 
 ここの地域特性はなんといっても一番に水。かつては洪水に苦しめられた時期もあったが、それも現在は見事に克服し、親水公園も数カ所整っている。又区内を舟で行き来することもやがては可能に成るかも知れない。
 お話しを聞いた福士さんも赤澤さんも、シンフォニーのマスターも水辺を毎日眺めてくらしている。こんなに、水は人を惹き付ける。川に沈む夕焼けも美しい。
 たとえ水はみえなくても水に囲まれている気配を感じて暮らせる事の幸せを、人の話を聞いたことで、思い起こされた。こんなに深く、人の心に浸水してくるものとは、その魅力の謎はなんなのだろうか。目に見える何かをもたらしてくれるのではないが、人の心を慰め、癒し、満ちた思いにさせてくれる。
 子ども達は親水公園のじゃぶじゃぶ池で思いっきり水遊びに興ずる事が出来る。
 だが、ザンネンなことに多様な生物が生存出来るほどに水環境が自然循環していない、コンクリートで護岸整備されているし、親水公園と名付けられてはいるが、水に近寄れる所は限れた範囲だけだ。水彩都市江東と喧伝される時、何時も思う。もう少し、往時の川の姿を取り戻して欲しいと。コンクリートをはがして元の土に戻す試みもイギリス辺りでは実現しているとも聞いたことがある。多様ないのちが元気に勢いよく生息する水であって欲しい。
 福士さんから、江東区の特色として町会自治会の組織力が語られた。確かに私の住む住吉でも町会自治会の組織力はスゴイ。今でも回覧版が回ってくるし、産土のお祭りも滞りなく遂行している、夏祭りや、交通安全週間にもかり出される。この組織がなかったら、これほどスムーズに伝搬するのは難しいとおもう。
 しかし、今ここを担っているのはみな、60代、70代だ。世代交代が上手くいっていないのだ。自営業の人が少なくなったことや、新住民が増えたことも要因かもしれないが、最大の要因は自らのコモンズを自分達でなんとかしようという気概を持つお節介が希少になったことではないだろうか。
 女性センターを自らの力で勝ち取ったあの元気さを今とりもどすにはどうしたらいいのか、 緑豊かな公園がある、芸術文化施設も、女性センターもある、神社仏閣も、地域の人に守られ大切にされている、大型スーパーと商店街もある程度は共存している、地下鉄で中心街まで数分で行ける。何よりも水辺がある。暮らし易さはピカイチかもしれない。
この地域に生きて、自らに引き寄せて考えるとしたら、私には何ができるだろうか。
 その事をずっと考え続けてきた、地域の縁側を作りたいと思っていた。誰でもふらっとたちより、お茶を飲んだり、ごろっと横になって絵本がよめるような空間が作れたら良いなあと思っていた。ついに、昨年その思いをささやかだが、現実のものにした。
 地域特性を丸ごとうけいれ、その中で、人が行き交いあたたまる場、侘び、寂びに満ちつつ、新たな命を育む野菜が豊かな、花の筵、侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)。この地域で横断的に生きたいとおもう。地縁だけのつながりにとどまらずにだ。
 他地域の年齢もちがう仲間達と絵本や詩を様々な手法で表現していく会を2009年8月に起ち上げた「え~ほん」という。侘寂菜花筵はそのたまり場でもある。キムチ作りもする、冬至の夜のキャンドルナイトに備えてミツロウのキャンドル作りや、生涯自らの体力で生きおおせるように美生(びーなす)健康道場にもなる。赤澤さんをつなぎ、マスターもつなぎ、ゆうちゃんも、芸術文化の殿堂ともつながっていく、その可能性を侘寂菜花筵は孕んでいるとおもっている。地域のお節介になろうと思う。地域の企業の出番を演出する若い仲間もいる。そう言う人たちとも連携しながらこの地域をいとおしくおもいながら、この地域に生きる人たちと共にいのちを守っていきたいと私も願う。まさにいのちの水のように融通無碍にたゆたいながら人の心をあたため、慰め、癒す縁側に侘寂菜花筵を育てていきたい。その事がこの地でより良く生きる術(アート)だと思っている。

 参考文献
「江東区のあゆみ」平成16年 江東区政策経営部広報課広聴課
「江東区基本構想」平成21年 江東区政策経営部企画課
「江東区の環境」 平成19年 江東区環境政策部環境対策課
「川と公園めぐり」平成13年 江東区役所土木部
「こうとう文化財まっぷ」平成17年 江東区教育委員会
「観光まちあるきガイド江東区」平成21年 江東区区民部経済課商業観光係
 

最新の画像もっと見る