侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

愉快に生涯を生き抜くこと、、、を願って、、

2016-09-16 19:53:32 | 人間のあり方
   
    2016年4月4日 沢山の夢と希望と理想で胸をパンパンにふくらまし、埼玉県東松山市に移転を決意、この地に
 骨を埋める覚悟でやってきたのでした、、
    古凍にある古民家は林に囲まれ、母屋、蔵、納屋、温室、があり、それらを心地よく整えて、多くの人びとの賑わいや
  喜びや安寧が訪れる空間として、まさにネオイーハトーボーとして活き活き溌剌と愉快を実現する場に育て上げていくはずであった、、、
  どれだけそうなる事を強く願って、夏の暑い日盛りの中もたゆまなく働き続けて来た、、のだった、、、けれど、、

  残念無念、その願いは実現する事無く、又しても100年の眠りの中に閉ざされ、いばら姫はいま又こんこんとしたねむりの中に
  入って行ってしまったようだ、、

  沢山の夢や希望や理想たちは、つくも神となって彷徨っているだろうか、、

  リュックにつめられるだけは詰めて、東につれもどったのですが、これからもう一度愉快というエーテルを吹き込んで
  ふくらませ、虹のかなたにとばして上げたい。


  悲劇は宮澤賢治生誕120年を祝う「まなつの夜のたび」前夜に突然、予告無く起こりました。
  休眠していたかに見えた火山からドロドロのマグマが解け出る勢いで
  噴火は怒りました、、

  そのマグマはあらゆるものをなぎ倒し、焼き崩し、のたうち回り、生きていたものたちの息の根を止めてしまいました、、
  居合わせたわたしの中の希望も夢も瞬時に息絶え、よもや息を吹き返す事は在るまいと思うほどでした。

   しかし、そのままそこで死に絶えるわけには行きません、一個の人間として、毅然と立ち、その無知蒙昧に暴れ回るマグマに
  冷静に向き合う事こそ、今為すべき事なのだと猛烈にわたしの中から切なる声が聞こえてきました。
   人は人に征服されるものではないし、征服するべきでもないのだと、、人は人としての我を愉快に生涯を生ききる存在としてあるのだと、、

  その当たり前の事を踏みにじるマグマはただただ怒りに身をまかせて憚らない土神に等しい哀しい存在です。
  
    内なる声を道しるべとし、勢いとし、同年9月7日およそ、5ヶ月で東に立ち返って参りました。

   大切な人たちとお別れをし、私にとろけるような滋養を与えて下さったパテシィエであり、シンガーである、大好きな美鹿さん、
  本当に本当に有り難う御座いました。息絶え絶えの日々に、酸素を送り込んで下さったみなさま、ありがとう御座いました。

   春と修羅を行き来し、5ヶ月間葛藤の連続でしたが、あたたかい日差しや喜びを下さった多くの方々との出会いに
  今又あらためて感謝をいたします。

   やっと深呼吸ができるようになりました。

   頑張った5ヶ月は10年にも匹敵するような怒濤の時間ではありましたが、その中で体験した事のすべてが
  今はとてもありがたいことだったと思えてきています。

   それらを折節に活かして、愉快に、他人の愉快も大切にし、傷つけない事を心がけて、生きたい、そんな全生の道を歩みたい、、と願います。

  新たな居場所はもと茶室だった処です。墨彩画家の凌波先生が「侘寂菜庵」と揮毫して下さいました。
   マリアでもあり、菩薩である友人が提供して下さった得難い場所です。
   
    行く川の流れをどんどん流れ去るしか無いこの身を、救い上げて下さる姿はまさに観世音菩薩です。

    そのご恩に報いる為にも、愉快に生を全うしたいと、、切に願う次第です。



    


    



  


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