侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

それでも、上り下りの船人が~~な長閑な光景

2011-04-16 08:48:22 | Weblog
 近代美術館で開催中の岡本太郎展はまさにジャストミートな展覧会!

   彼の「ばくはつだ~~~!」が今こそ必要じゃっ!と、太郎さんになりかわって叫びたいような気分だった。

 本当に今を生きる私たちは爆発しなくっちゃいけないと言う気になった。

 誰が何と言おうとノーを言い続ける、傍観者、見学者でいるよりも当事者になることを選ぶべきだし

 自らの中の様々な葛藤を凝視しその葛藤から生み出される物にこそ意味があり、ゲイジュツと
 呼ぶにふさわしいものなのだと、、


 私たちの中に存在する名ぶしがたいもの
 

 恐れ、怒り、歓喜、哀しみ、理性も知性もひっくるめて
  
  具象も抽象もかき混ぜてその中からほとばしるパッションを抽出して具現化する
 それが岡本太郎の生き方でありゲイジュツだったのだと思うし
 
 それは基本的に人の生き方として極めて正しい振る舞いなのだと実感した。

 入り口に入った途端に遭遇するインスタレーションにはかつて東博で開催された
 「縄文展」の時のような永劫不滅ないのちのざわめきが聞こえてきた

  まるで命の基層を形成する微生物をそのまま具象化したかとおもわせるような
いのちのほとばしりをぶっつけてくるようなそんな勢いを感じた。

  その命のほとばしりを現代人はどこかに置き忘れてしまったか、見失ってしまったか

 理不尽さに怒る事すらわすれてしまっただろうか、

 どんな理屈もいのちの前では敬虔にならざるを得ないのだっ!と彼は突きつけてくるようにおもった。

 久高島のイザイホー。秋田のなまはげ
 花卷の鹿踊り

 それらすべてに共通するのは名ぶしがたい魂の揺すぶりなのだ


  そのたましいの揺すぶりの源を成すのが命

 命の最小を形成するのが微生物

  かすかなるもの、その中に広大無辺な「いのち」の原素があるのだよ、、

 だから反原発と微生物はつながっている、、私の中では

  不毛な大地も汚れきった大気も、海水も
 もしもよみがえらせてくれるとしたらそれは微生物しかあり得ないとすら思う。


 リスクマネージメントに口角泡を飛ばしている間があるのなら

 微生物の力で生ごみを自家処理して自然循環でごみを減らす事の方を選びたい。


 ノーを言おう、そして具体的に実現するための智慧をつけよう、

 政治の流れを変えよう、経済の流れを変えよう、

 ただほえているだけじゃなくてその道のりが、確かにゴールに
 たどり着けるように、絵図を描こう!

  残されている時間は少ない、、共感してくれる人の智慧を結集したい!




















 

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