侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

ご冥福をお祈りいたします、、

2010-03-10 23:32:35 | Weblog
 戦後間もない頃、テレビなど存在すらしない頃、東北の片田舎にインド舞踊やマリンバ奏者、石井莫などゲイジュツ家を招聘したのも叔父達の青年仲間だった。小学校の講堂は花巻中の人があつまってきたかのように立錐の余地もないほどの人混みだった。
これほどたれもがゲイジュツにどん欲だった時代は無かったのではないかと思うほどだ、、
 珈琲をサイホンで湧かし、蓄音機で音楽を聴く、長身でやせぎすの叔父は映画俳優のようですらあった。
叔父の腰巾着になって何処にでもついて行った。殊の外好きだったのはやまあいの村々に配達に行く事だった。
 お昼になれば、川の側の土手に腰を下ろし、弁当を使った、桜の季節にははらはらと花びらが川に舞い落ちそれはそれは
うつくしかった。秋には働いている人達全員で大沢温泉に出かけ、やはり川縁で芋の子汁大会をした。
 いつも叔父は楽しげだった。何時も叔父は歌っていた。人を楽しくすることの喜びを叔父から学んだ。
その叔父が亡くなった。

 晩年、あることから実家ともめ事があり、絶縁状態になってしまい、それ以来疎遠になってしまっていた。
その事はとてもつらい事だ。よもやその様な事態が起こるなどとは誰もが想像だにしなかったろう。
 
 実家の兄の哀しみを思うとき、どんなに叔父を思う気持ちがあっても会うことにはためらいがあった。

そうして疎遠になったまま、叔父は82歳の生涯を閉じた。
 
 私に人を楽しくすることの喜びを身をもって教えてくれた叔父にお別れをする。

 ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。


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