一年がかりでまちにまった、無名塾の「マクベス」観劇の為初めての能登へ。ああなんて美しい町だろうか。海辺の町ってこんなに美しいのだ、、と心底参った。能登空港から和倉温泉に向かう道すがらの何とも言えない家並み、山の具合、海の具合が小川未明の赤い蝋燭と人魚が住む海辺の町のようでウットリしてしまった。大正時代にタイムスリップしたかのような錯覚すらおぼえた。湾内にゆったり浮かぶ舟にも風情がある。人々はこんなに親切にして下さって申し訳ないと思うほど良くして下さる。
和倉温泉唯一のレストラン、ブロッサムではすっかり親類のようにもてなしていただいた。京都のフレンチで修行をして居られる息子さんから伺ってお尋ねしたご縁だけでこんなに歓待していただき感謝感激。パテシェのお嬢様のドルチェも美味しかった!
そして「マクベス」。能登演劇堂はスゴイ!地元中島町の人々はこぞってこの50日間ロングランプロジェクトに誇りを持って関わっておられた。様々な事務局作業からエキストラとしてお芝居に参加することまで含めて自主的に心を込めてやり遂げる喜びを実感している様子が伺えた。こんなに遠くまでどれだけの人が観劇に来るのだろうかと思うほど不便な所なのにも関わらず、全日チケットは完売しており、補助席も用意されていたぐらいだった。能登のみならず、石川県全体でこのプロジェクトを支援していることが見て取れた。行く先々に仲代さんと若村さんの強烈なマクベス夫妻のポスターやチラシが置かれたいた。
何といっても客席の驚きと感動が最高潮に達するのはあの舞台奥の大扉がめりめりと開き、後ろに広々と野外舞台が広がる瞬間だ、さらにおどろくのはそこに馬が疾駆してくる場面だ。数頭の馬が鎧甲に身を固めた兵士を乗せて疾駆してくるのだ。
こんな事は世界広といえども、ここ、能登演劇堂でしか実現していないはず。まさに大スペクタクル!これだけで十分能登まで来た甲斐があった。仲代さんの脱力したマクベスは一種独特だ、平幹二郎の前へ前と向かう感じとは逆のベクトルで表現しているように感じた。若村さんのマクベス夫人はもう誰が観てもその美しさに脱帽してしまう完璧な美しさだった。表現においても
優等生だった。癖の無い美しいマクベス夫人ではあった。が欲を言えば、なんかこうアクの強さのようなものが残るような、、そんな芝居が観たかったかも、、、演劇堂のある中島町は見事なまでに何もなく、土壁をはう蔦が美しかったりするほど寂れた町ではあるがそれが最高にごちそうだった。町の中央を流れる川、町外れの寺、がさつに商売氣のあるお店は一軒もなく、ひたすら静かな田園がひろがるばかり、、清々しいことこの上ない。
帰路は友人の運転する車に同乗し、金沢へ出て21世紀美術館を堪能して東京へ戻った。
13日の金曜日からは芸術環境演習のスクーリングで「話芸」を三日間学ぶ。講師は桂右團治師匠。女性真打ちである。
講談師も素敵だけれど、落語家もなかなかイイ。ああ生まれ変わったら落語家を目指そうかしらと思うほど好きになってしまった。会話だけでストリーを展開していくのはまさにお芝居を上演しているようなものだ。
一人でいくつもの役を仕分けるというのもおもしろい。それぞれの役柄の性格を演じ分けるのに話芸だけでやるのだからたいしたものだ。浅草演芸場で前座さんから二つ目、真打ちと聞かせていただいたがホンにほれぼれする。
日本には何と優れた芸能があまた有ることか、日本は独特の文化を持つスゴイ国だ。それだけだって芸術立国とほこってもいいのじゃないだろうか。
そして、21日は一路京都へ、京都駅は人人人でもうロッカーも一時預かりも満杯になるほどの賑わい振り。久しぶりの賑わいだとタクシーの運転手さんが言っていた。
吉水で一緒に働いた高橋さんと祇園で待ち合わせ、高台寺の側のイタリアンでランチ。しもた家を改造したお店は瀟洒で居心地が良かった。おもてなし振りがさりげなく、暖かく、お料理もリーズナブルで美味しかった。それから近代美術館でボルゲーゼ美術館展を閉館まで鑑賞。暮れなずむ道をあちこち立ち寄りながら丸山公園の中の吉水へ。薪ストーブを焚いて、暖かいコヒーを入れて下さり嬉しかった。シッカリ、ホールやお部屋を見せていただく。今度の京都のスクーリングには是非泊めていただこうと思う。
青蓮院の青不動の拝観に向かうもあまりの長蛇の列におそれをなし、そのまま、京都駅へ。東京自由大学の皆さんと合流し一路天河へ。
下市口から天河へ向かう車の中で恐ろしいほど美しい星空を見上げた。ああ宇宙にはこんなにあまたの星が有ったのだとあらためて気づく。
真夜中に天河に到着。そのまま、天河火間を見に鎮魂殿に向かう。星空が追いかけてくる。
ホントダッ!!世界一美しい火間だっ。
なんて清浄なのだろう。とり舟のようだ。暗闇の中に浮かぶ、天地人は後ろの朱を背にして何か原罪を浄化するような印象。
明日はこの火間に火が入る。
私の菩薩立像はすでにとり舟にのって、土から仏に変成するのを待っている。小窓からみえるかもとのぞいたけれど、暗闇で
見えなかった。
翌日の火入れ式の後、紅蓮の炎が燃えさかる中、菩薩立像は微笑みを湛えて小窓からこちらを見ておられた。なんてかわいいのだろう。飛鳥時代のあの菩薩立像の微笑みとオーバーラップし、感激!
その夜の奉納ライブは今生で初めて遭遇する心浮き立つ場だった。
まさに風立。
これらの体験のいくつかが私の中の本当の食べ物として身に備わることを祈る。
和倉温泉唯一のレストラン、ブロッサムではすっかり親類のようにもてなしていただいた。京都のフレンチで修行をして居られる息子さんから伺ってお尋ねしたご縁だけでこんなに歓待していただき感謝感激。パテシェのお嬢様のドルチェも美味しかった!
そして「マクベス」。能登演劇堂はスゴイ!地元中島町の人々はこぞってこの50日間ロングランプロジェクトに誇りを持って関わっておられた。様々な事務局作業からエキストラとしてお芝居に参加することまで含めて自主的に心を込めてやり遂げる喜びを実感している様子が伺えた。こんなに遠くまでどれだけの人が観劇に来るのだろうかと思うほど不便な所なのにも関わらず、全日チケットは完売しており、補助席も用意されていたぐらいだった。能登のみならず、石川県全体でこのプロジェクトを支援していることが見て取れた。行く先々に仲代さんと若村さんの強烈なマクベス夫妻のポスターやチラシが置かれたいた。
何といっても客席の驚きと感動が最高潮に達するのはあの舞台奥の大扉がめりめりと開き、後ろに広々と野外舞台が広がる瞬間だ、さらにおどろくのはそこに馬が疾駆してくる場面だ。数頭の馬が鎧甲に身を固めた兵士を乗せて疾駆してくるのだ。
こんな事は世界広といえども、ここ、能登演劇堂でしか実現していないはず。まさに大スペクタクル!これだけで十分能登まで来た甲斐があった。仲代さんの脱力したマクベスは一種独特だ、平幹二郎の前へ前と向かう感じとは逆のベクトルで表現しているように感じた。若村さんのマクベス夫人はもう誰が観てもその美しさに脱帽してしまう完璧な美しさだった。表現においても
優等生だった。癖の無い美しいマクベス夫人ではあった。が欲を言えば、なんかこうアクの強さのようなものが残るような、、そんな芝居が観たかったかも、、、演劇堂のある中島町は見事なまでに何もなく、土壁をはう蔦が美しかったりするほど寂れた町ではあるがそれが最高にごちそうだった。町の中央を流れる川、町外れの寺、がさつに商売氣のあるお店は一軒もなく、ひたすら静かな田園がひろがるばかり、、清々しいことこの上ない。
帰路は友人の運転する車に同乗し、金沢へ出て21世紀美術館を堪能して東京へ戻った。
13日の金曜日からは芸術環境演習のスクーリングで「話芸」を三日間学ぶ。講師は桂右團治師匠。女性真打ちである。
講談師も素敵だけれど、落語家もなかなかイイ。ああ生まれ変わったら落語家を目指そうかしらと思うほど好きになってしまった。会話だけでストリーを展開していくのはまさにお芝居を上演しているようなものだ。
一人でいくつもの役を仕分けるというのもおもしろい。それぞれの役柄の性格を演じ分けるのに話芸だけでやるのだからたいしたものだ。浅草演芸場で前座さんから二つ目、真打ちと聞かせていただいたがホンにほれぼれする。
日本には何と優れた芸能があまた有ることか、日本は独特の文化を持つスゴイ国だ。それだけだって芸術立国とほこってもいいのじゃないだろうか。
そして、21日は一路京都へ、京都駅は人人人でもうロッカーも一時預かりも満杯になるほどの賑わい振り。久しぶりの賑わいだとタクシーの運転手さんが言っていた。
吉水で一緒に働いた高橋さんと祇園で待ち合わせ、高台寺の側のイタリアンでランチ。しもた家を改造したお店は瀟洒で居心地が良かった。おもてなし振りがさりげなく、暖かく、お料理もリーズナブルで美味しかった。それから近代美術館でボルゲーゼ美術館展を閉館まで鑑賞。暮れなずむ道をあちこち立ち寄りながら丸山公園の中の吉水へ。薪ストーブを焚いて、暖かいコヒーを入れて下さり嬉しかった。シッカリ、ホールやお部屋を見せていただく。今度の京都のスクーリングには是非泊めていただこうと思う。
青蓮院の青不動の拝観に向かうもあまりの長蛇の列におそれをなし、そのまま、京都駅へ。東京自由大学の皆さんと合流し一路天河へ。
下市口から天河へ向かう車の中で恐ろしいほど美しい星空を見上げた。ああ宇宙にはこんなにあまたの星が有ったのだとあらためて気づく。
真夜中に天河に到着。そのまま、天河火間を見に鎮魂殿に向かう。星空が追いかけてくる。
ホントダッ!!世界一美しい火間だっ。
なんて清浄なのだろう。とり舟のようだ。暗闇の中に浮かぶ、天地人は後ろの朱を背にして何か原罪を浄化するような印象。
明日はこの火間に火が入る。
私の菩薩立像はすでにとり舟にのって、土から仏に変成するのを待っている。小窓からみえるかもとのぞいたけれど、暗闇で
見えなかった。
翌日の火入れ式の後、紅蓮の炎が燃えさかる中、菩薩立像は微笑みを湛えて小窓からこちらを見ておられた。なんてかわいいのだろう。飛鳥時代のあの菩薩立像の微笑みとオーバーラップし、感激!
その夜の奉納ライブは今生で初めて遭遇する心浮き立つ場だった。
まさに風立。
これらの体験のいくつかが私の中の本当の食べ物として身に備わることを祈る。