狩野長信(1577-1654年)作、狩野永徳さんの弟さん
桜の下で踊る女性たちの楽しそうな表情、笑みこぼれ、笑い声が今にも聞こえてきそう、
当時の先端を行くファッションだったのだろう、、小袖で帯もしめつけてなくて、着やすそう、
当節もこんな風な着方で過ごせたらさぞ楽で良いと思う。
本館裏 池の前の枝垂れ桜
翌日は、花巻からのご一行様をお迎えする。長年東京に行きたいと願っていた義姉の思いが実現出来てウレシイ!
晩餐会は我が家の真ん前のイタリアンで、貸し切り状態でイタリアでは楽しめなかったイタリアンを存分に満喫。
出血大サービスをしていただき、最後のドルチェはパフォーマンス入り、灯りを消してクアントロで香り付けをする
お誕生日仕様のサービスをしていただいた。
翌日は新宿発8時のロマンスカーで一路箱根湯本へ。
ガラスの森美術館は全館 おとぎのくにの様な作りでベネチアングラスのコレクションが満載、レストランではイタリアーノのカンツォーネのライブを聴きつつお食事。 手拍子、かけ声、ありの賑々しいステージだった。流石イタリアーノ!
箱根でカンターレに痺れるとはおもわなかった、、ベネチアのゴンドラのお兄さんは歌ってくれなかったし、、
ベネチアで十二分に観ることの出来なかったふるい時代のベネチアングラスを丁寧にながめる、初期のものにプリミティブだけれど暖かさや作る喜びのようなものを感じて好きになる。
目もお腹も満腹になったところで、ケーブルカー、ロープウェーを乗り継ぎ、大湧谷を越え、
芦ノ湖へ。
山の中の湖を海賊船で航海した。
甲板にでると風がさわやかだ。緑のにおいがする。 ひしめき合うほどの人が乗り込んでいる。
海賊船は箱根神社の脇の元箱根港に到着。箱根神社を参拝し、バスで箱根湯本に戻り、いよいよ宿泊の地、ホテルおかだに向かう。
お玄関には「丸大会」の看板が!
早速一風呂浴びて宴会場へ、 オオ~~広すぎる~~~30畳敷きぐらいのお部屋を独占するからにはもりあげなくちゃ~
俄然闘志が湧いてきた。
まづはこの日のあるのもご先祖様方のお陰と合掌し、乾杯。
沼津、盛岡、花巻の大内家がこうして箱根で会することが出来たことに感謝。
その御先祖様達って一体どんな方々だったのだろうか、、おじいさんぐらいまではしっていてもその前は殆どわからないし
親類縁者となるともうほぼ他人になってしまっている。
そのルーツをたどってみようと、歴史好きの兄から実家に帰った折に、
レクチャーしてもらったヒストリーオブザ大内家ファミリーを一席申し上げた。
マクラに小咄を一つ、ご来席の皆様方にリラックスしていただいてから、いよいよ本席のはじまり~はじまり~~
とは言え、明治13年頃の大火で系図、過去帳の類は皆焼失してしまっており、私から数えて6代前の肝煎り市兵衞さんからの
お話しになる。
市兵衞さんの生没は天明4年(1784)~安政7年(1860)。菩提寺の松庵寺に残っている墓石に刻まれている最もふるい年号は元禄11年(1698)柳沢吉保が大老になった年である。それ以前は上方にいた中納言だったとか大納言だったとか
祖母に聞いたことがある。東北地方に初めて唐傘というものを伝えたのは我が家のご先祖なのだ、、そうだ、、が
信憑性のほどははなはだ疑問だ。
今日に至る過程の中で宮沢賢治さんの宮沢家ともご縁があったようで少なからず姻戚関係もありそうなことを現在の宮沢家の当主から伺ったこともある。
どうやら三代前のシマさんのお婿さんとのご縁らしい。
お婿さんの儀助さんの実家が日詰の「おんまや」というところだそうで、旭田家と名乗り、今も板金業を営んでおられる。
一度お尋ねしてみたい気がする。
何年振りかと言うぐらい久しぶりに会っても流石に血の繋がりがあるからだろうか、あたたかく、ほのぼのと嬉しい心持ちになる。
何時も口数の少ない甥が思いの外、宴会部長振りを発揮してくれて、最後はみんなで大合唱!になる。
頃合いも良く、お開きとし、 今度は露天風呂三昧のお風呂を味わう。
色々、旅行社の上田さんに尽力をしていただき、存分に箱根を楽しませていただいた。
義姉も心から楽しめたようだ。
杖をつき不自由な足をかばいながらの旅程であったものの、若い人たちは何時も心を砕き、エスカレーターを探したり、
エレベーターを呼んだり、さりげないサポートを随所でしてくれた。
そんな姿が又嬉しい。
一夜明け、今日も好天に恵まれる。
今朝は小田原城探検隊一行、ホテルのんびりチーム、富士家ホテルでお茶組に
このホテルが「千とちひろの神隠し」のモデルだったんだとか、、
ホテル内部
箱根のモザイク細工を思わせる季節限定ドルチェ
それぞれ分かれ、それぞれに楽しんだ。
11:48発ロマンスカーで新宿へ、兼ねて用意のお弁当を戴きつつ車窓の春爛漫を楽しんでいる内に新宿に到着。
来年は開催地は沼津近郊でということになり、修善寺で会いましょう!! を合い言葉に
初企画、丸大会イン箱根は終焉となる。
桜の下で踊る女性たちの楽しそうな表情、笑みこぼれ、笑い声が今にも聞こえてきそう、
当時の先端を行くファッションだったのだろう、、小袖で帯もしめつけてなくて、着やすそう、
当節もこんな風な着方で過ごせたらさぞ楽で良いと思う。
本館裏 池の前の枝垂れ桜
翌日は、花巻からのご一行様をお迎えする。長年東京に行きたいと願っていた義姉の思いが実現出来てウレシイ!
晩餐会は我が家の真ん前のイタリアンで、貸し切り状態でイタリアでは楽しめなかったイタリアンを存分に満喫。
出血大サービスをしていただき、最後のドルチェはパフォーマンス入り、灯りを消してクアントロで香り付けをする
お誕生日仕様のサービスをしていただいた。
翌日は新宿発8時のロマンスカーで一路箱根湯本へ。
ガラスの森美術館は全館 おとぎのくにの様な作りでベネチアングラスのコレクションが満載、レストランではイタリアーノのカンツォーネのライブを聴きつつお食事。 手拍子、かけ声、ありの賑々しいステージだった。流石イタリアーノ!
箱根でカンターレに痺れるとはおもわなかった、、ベネチアのゴンドラのお兄さんは歌ってくれなかったし、、
ベネチアで十二分に観ることの出来なかったふるい時代のベネチアングラスを丁寧にながめる、初期のものにプリミティブだけれど暖かさや作る喜びのようなものを感じて好きになる。
目もお腹も満腹になったところで、ケーブルカー、ロープウェーを乗り継ぎ、大湧谷を越え、
芦ノ湖へ。
山の中の湖を海賊船で航海した。
甲板にでると風がさわやかだ。緑のにおいがする。 ひしめき合うほどの人が乗り込んでいる。
海賊船は箱根神社の脇の元箱根港に到着。箱根神社を参拝し、バスで箱根湯本に戻り、いよいよ宿泊の地、ホテルおかだに向かう。
お玄関には「丸大会」の看板が!
早速一風呂浴びて宴会場へ、 オオ~~広すぎる~~~30畳敷きぐらいのお部屋を独占するからにはもりあげなくちゃ~
俄然闘志が湧いてきた。
まづはこの日のあるのもご先祖様方のお陰と合掌し、乾杯。
沼津、盛岡、花巻の大内家がこうして箱根で会することが出来たことに感謝。
その御先祖様達って一体どんな方々だったのだろうか、、おじいさんぐらいまではしっていてもその前は殆どわからないし
親類縁者となるともうほぼ他人になってしまっている。
そのルーツをたどってみようと、歴史好きの兄から実家に帰った折に、
レクチャーしてもらったヒストリーオブザ大内家ファミリーを一席申し上げた。
マクラに小咄を一つ、ご来席の皆様方にリラックスしていただいてから、いよいよ本席のはじまり~はじまり~~
とは言え、明治13年頃の大火で系図、過去帳の類は皆焼失してしまっており、私から数えて6代前の肝煎り市兵衞さんからの
お話しになる。
市兵衞さんの生没は天明4年(1784)~安政7年(1860)。菩提寺の松庵寺に残っている墓石に刻まれている最もふるい年号は元禄11年(1698)柳沢吉保が大老になった年である。それ以前は上方にいた中納言だったとか大納言だったとか
祖母に聞いたことがある。東北地方に初めて唐傘というものを伝えたのは我が家のご先祖なのだ、、そうだ、、が
信憑性のほどははなはだ疑問だ。
今日に至る過程の中で宮沢賢治さんの宮沢家ともご縁があったようで少なからず姻戚関係もありそうなことを現在の宮沢家の当主から伺ったこともある。
どうやら三代前のシマさんのお婿さんとのご縁らしい。
お婿さんの儀助さんの実家が日詰の「おんまや」というところだそうで、旭田家と名乗り、今も板金業を営んでおられる。
一度お尋ねしてみたい気がする。
何年振りかと言うぐらい久しぶりに会っても流石に血の繋がりがあるからだろうか、あたたかく、ほのぼのと嬉しい心持ちになる。
何時も口数の少ない甥が思いの外、宴会部長振りを発揮してくれて、最後はみんなで大合唱!になる。
頃合いも良く、お開きとし、 今度は露天風呂三昧のお風呂を味わう。
色々、旅行社の上田さんに尽力をしていただき、存分に箱根を楽しませていただいた。
義姉も心から楽しめたようだ。
杖をつき不自由な足をかばいながらの旅程であったものの、若い人たちは何時も心を砕き、エスカレーターを探したり、
エレベーターを呼んだり、さりげないサポートを随所でしてくれた。
そんな姿が又嬉しい。
一夜明け、今日も好天に恵まれる。
今朝は小田原城探検隊一行、ホテルのんびりチーム、富士家ホテルでお茶組に
このホテルが「千とちひろの神隠し」のモデルだったんだとか、、
ホテル内部
箱根のモザイク細工を思わせる季節限定ドルチェ
それぞれ分かれ、それぞれに楽しんだ。
11:48発ロマンスカーで新宿へ、兼ねて用意のお弁当を戴きつつ車窓の春爛漫を楽しんでいる内に新宿に到着。
来年は開催地は沼津近郊でということになり、修善寺で会いましょう!! を合い言葉に
初企画、丸大会イン箱根は終焉となる。