侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

偉大な先輩が逝き、ました。

2018-05-26 14:37:52 | 人間のあり方
  その彼女が逝きました、、

  宮崎空港で成田行きフライト待機中に訃報が届き、心が折れた。

  飛行中、 真っ白な雲海が続き、突然雲間から閃光のような光がさし、

  その時、天上にひらひらと両手両足をのびのびのばしとびたってゆく、彼女がみえたのです、、

  楽しげにも見え、

  何時も元気にカラカラと笑い歌い踊る、何をするのも真剣、怒る事にも真剣、そんな彼女の
  あの日あの時の光景がつぎつぎと浮かび、なんて沢山の事をしてきてくださったのだろう、、と思います。
 
  未来の子どもたちに演劇、音楽、異年齢集団での遊び、キャンプ、など自主活動を通じて、
  一人一人の個性を存分に発揮し生きる力を蓄え、共に生きる喜びを共有して育ちあう
  大切さを、常に願いつづけその実現の為に様々な活動をしてきた。

  子ども劇団「狸座」も結成した。日本中の子ども劇場の仲間と連携する全国大会にも出かけた。
  様々な劇団とより良い文化芸術の創造の為の学習会にも出かけ、熱い討論もした。
  偏差値教育や差別を殊の外嫌い、署名を集め、各党の議員の部屋をまわり、其の意義を伝えもした。
  子どもたちのみならず、保護者も共に育ちあってゆこうという点にも意欲的だった。

  半身不随になってからも左手で絵を描きつづけ、以前の作品もあわせて、銀座セントラルで個展も開催した。

  その不屈の魂は何時もワタシの励みだった。というよりもどんなときもどん底の状況にある時も
  何時も同じように事も無しというように当たり前のように振る舞い、そのままの私で良いし、卓越した個性で
  あるかのように言ってくれさえもし、萎えてしまいそうになる気持ちを何度となくふるいたたせてくれた。
 
   その先輩が、橋を渡って会いに行ってももう、イナイ、、ということが まだ認められない、、
  
   彼女は感傷的にぐずぐずしているのなんか大嫌
 
   最後まで毅然と生きた彼女のスピリットを私はたとえどんなにささやかであろうとも
   ひきつがなければ、いけないのだとそれだけは確信的におもっている。

   海が好き、子どもが好き、馬も好きだった、美しいものをこよなく愛していた。

そんな遠く無い将来、再会した時に笑顔で迎えてくれるように生きよう、生きて行きたいと 願う。

  









  


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