アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

日本警察の幼稚さ

2013年04月27日 | Weblog

安倍首相の車列が追突事故=SP2人軽傷―東京

2013年4月27日(土)17:35

 27日午後1時40分ごろ、東京都渋谷区の首都高速新宿線の代々木入り口付近で、

安倍晋三首相を乗せた公用車と警護車など計5台が追突事故を起こした。

男性(SP)2人が軽傷を負い、公用車も後部がへこんだが、首相にけがはなかった。

 警視庁警護課などによると、先頭の警護車が高速に入ろうとしたが、

自動料金収受システム(ETC)の開閉バーが開かず、2台目の公用車が急停止。

後続が次々に追突し、4台目に乗っていたSP2人が顔を打つなどして病院に搬送された。

 首相の公用車は午後1時36分、東京・富ケ谷の私邸を出発。

拉致問題に関する集会が開かれていた日比谷公会堂に向かう途中だった。公用車の走行に問題はなく、

首相は予定通り集会に出席した。 

 

警護官の能力以前の問題で、首相を警護する任務が第一でETCの

開閉バーの開閉に関係なく通過するが第一で日本国家

安倍晋三首相の公務第一に考慮していない

この警視庁警護課の責任は重大かつ未熟で、

国家を守る重大性と警察の義務を理解してない、

代償は多大で、事故当時の混乱からテロリストなど不測の事態に対応、

警護する事は不可能に限りなく近い、その訓練、装備も無いことが証明された。

今回の場合、日本国家、安倍晋三首相を遅滞なく無事到着するのが

最大任務で開閉バーが開かずとも通過しても問題は無いそれに伴う

損傷その責任は、訓告程度以下である。

車両の破損また高速を長時間影響を与えた代償は少なくとも

5千万円を超えるが、全て税金で賄うのである。

警察官は全て官狗、時の政府を守る使命義務が最大任務である。

日本国家、安倍晋三首相の今回の警護任務に当らせた上部の責任は

問われるだろうが、それは形式上のもので、根本解決には成りえない。

正に狂である。

 

我々一般人は今回の、事故であれば、安全運転、車間距離不足で

罰金を払いお咎めを受け2人が軽傷だから免許停止になる。


高倉健の人間性は何処から 1

2013年04月27日 | 近世歴史と映画

83年から4年にかけて、FM東京で『アウトドア・スタジオ』という番組を毎週やっていた。

沢木耕太郎が合いたいと思う人と好きな場所で好きな話をする、

というなかなか楽しい番組で。思い返すと、それには実に多くの方が

ゲストとして登場していた。吉永小百合、美空ひばり、阿佐田哲也、

中島みゆき、それに高倉健も出てた事があった

 

 高倉健とは、北海道の牧場に泊まり込んで、二日がかりで録音した。ラジオの番組としては

異例の贅沢さだが、夜遅くまで話しつづけたと、聞いている。

 このときの高倉健については粋な後日談かある。東京に帰った数日後に、

ディレクターが出演料の取り決めをしていなかったことに気づき、高倉事務所

におそるおそる電話をした。ディレクターがいくらギャラを払えばいいのか尋ねると

事務所の女性がこう言ったそうである。

ラジオの予算では到底お払いになることはできない額だと思います」。

ディレクターは、青くなりかけたが、事務所の女性の言葉には、

さらにその先があった。

だから、一銭もいただかなくてよいと申しております」。

なを、その放送をもとに文字化されたこの対談は、84年1月2・9日号の「平凡パンチ」

に掲載されている。

 その中で、高倉健は 僕も沢本さんと同じように、北九州の小さな炭鉱町の、

三つある映画館は父の顔でフリーパスだったんで、よく見ました。

映画俳優に自分がなるなんていうのは思ってもなかったですけど、

ちょうど英語会話なんてのがブームになっていましてね、

対訳テキストなんていうのがあった。『哀愁』ですか、ロバート・テーラーとビビアン・リーの

『ウォータールー・ブリッジ』という、その訳本なんかを買って覚えました。

もちろん英語の勉強のためだけでなく、映画のすばらしさと両方だったでずけど、

英語の台詞をみんな覚えてましたれ、この次はこう言うはずだ

なんて……。

 

高倉健本人は本家だと言っているが、生家である濠を巡らし格式ある屋敷である。          

 

生後間もない、学校の先生だった母との写真

 

軍人だった父、若い頃相撲で鍛え、威圧感が有り「亀ヶ嶋」の四股名を持っていた。

東筑高等学校一年生当時の写真、腕時計にバスケットシューズやはり裕福だったのだ

 約80年前の写真が残されている事は、写真館が家に訪れ撮影したと考えられる

一般家庭では、できないことだ。

≪福岡県立東筑高等学校(ふくおかけんりつ とうちくこうとうがっこう)は、福岡県北九州市八幡西区にある

  共学の 県立高等学校で、100年以上の歴史を持つ県内有数の進学校であり、

       特に同じ北九州市内にある福岡県立小倉高等学校とは比較されることも多い≫