依て人足御借(貸)披下候様小頭方へ頼頼入候の処、小頭申候様は、
時分柄ゆへ早々談事相済、綴方の吉皆々立帰へり人足無之故、
下小屋長吉方に居合候者借遺申候由ニて、下小屋の者借請、
其より帰へり、水沼又□、権田村市六同道ニ而相戻、其段御役元へ申上、
場所の義は百姓人足ニ而拵へいたす。
年の暮であっ為に、方々から集っていた人足もそれぞれ帰ってしまったので、
下小屋にいたものだけを集めて大戸に戻り、処刑場は地元の村民の人足で
造る事にしたと私は解釈するが、惣右衛門の手記より読み取れることは、
頭と頭の影響力が如何に強く当時の社会に於いて其独占力は
計り知れなく且つ知識、教養が高く独占していた仕事は重要で不可欠あったと、
私は考えるのですが、其れは是までの記載内容をご覧戴いた方の解釈に委ねます。
続く