アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

柴又帝釈天と伊勢崎市境下武士の深い関係 其の2

2013年04月06日 | 名所旧跡

 

工匠棟梁 石原島吉は弘化、弐年「1844年」九月二十七日、佐位郡下武士村

新田に石原孫平の長男として生まれる。

幼いころ新田郡世良田村の棟梁、磐身守、中島亀次郎の元で修業してのちに

工匠として、天性の本領を棟梁としての力量を発揮するがそれ以上に、人間として

資性温厚にして厚実にとみなをかつ弟子の勲育専念し、その弟子は30有余名に

上ったと云われている、人間性に優れた人物であったです。

工匠島吉の建造した、神社仏閣の主なものは

                                                                          佐波郡境町渕名の大国神社本殿 

伊勢崎市下植木の曹洞宗天増寺本堂

 

  伊勢崎市今泉町の八幡宮本殿

 

 大東神社本殿

  

 

                                           

                                                                       

 



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (迷道院高崎)
2013-04-06 22:57:40
郷土の偉大な人物を取り上げることは、とても良いことですね。
若い方々にも、郷土の歴史に興味を持ってもらい、それが郷土愛につながります。
益々、ご活躍ください。
返信する
己の勉強になります。 (wasada49)
2013-04-07 03:38:55
コメント頂き感謝いたします。

由来有る地名が、合併の繰り返しにより
故実家の名称になるのが、一番残念で、
それに伴い、郷土の歴史が失われていく現状に
微力ですが、牛歩ですが努力したいと思います。
返信する

コメントを投稿