アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

幻の民サンカ 其の37 サンカの事情と特徴Ⅱ

2015年11月02日 | 近世の歴史の裏側

山形県の本地屋の村へたどり着いたことが有るというから静岡県の西部からに

東北地方の山沿いを少なくとも南部までは さまよって行った事になる。 

伊藤は そのような漂浪生活の厳しさを骨の髄まで悟って山を下りる 

そのあと横浜市の野毛山で日雇い労働者をしたり 埼玉県熊谷市の荒川の河原や

同県大宮市の木賃宿で暮らした。

すさんだ日々のうちに いつの間にか盗癖を身につけたとみえ 昭和二十三年春 

窃盗罪で逮捕され、懲役六ヵ月から一年六カ月の不定期刑の判決を受け

 同年九月まで東京の豊多摩刑務所で服役している

仮釈放後の翌二十四年初めから吉見百穴で寝起きしはじめ、このとき辰三郎らと

知り合ったのだった。

伊藤は これから二十年ほどにわたってミナオシの社会で過ごしているが、

きちんとした箕を作る技術は結局 身につけることができなかった 同じことは 

やはり普通社会のでもあった。

大島太郎、小川作次についてもいえる 箕作りの技術というのは それほど習得が難しい、

彼らは修繕しかできない半端職人であった、その代わり彼らには別の利点があった。

もとから部内にいた人間と追って 読み書きと計算の能力をそなえていたことである 

伊藤昇は昭和二十七年の春 二一歳のとき生涯を通じて最も苛酷で恐ろしい体験をしている 

ある重大な殺人事件の犯人として逮捕されたのである 

その事件は前年の大みそかの午後 埼玉県今宿村(現鳩山町丿石坂の山林で起きた

近くの高坂村(現東松山市丿田本に体む二O歳の姉と一三歳の弟が薪と落葉ひろいに出かけ

何者かに草刈り嫌で顔面や頭部などをめった斬りにされたのである。

発見されたとき二人ともすでに死亡しており、

弟の顔には凶器の嫌が突き刺さつたまま残されていた。

 

                              つづく 

       



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