アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の壱拾四

2016年12月27日 | 近世の歴史の裏側

太田市の大光院I飢饉救済金を奪う

天保の飢饉の時に 飢えに苦しむ人4を救つたという忠治伝説は、

 講談の中にも取りあげられている。 

天保七年に忠治は子分を引き連れて太田市の大光院に押し入って三千両の大金を

盗み出して米を買って飢えた人たちに分け与えたのだと伝えられている 

天保の飢饉の七 八年の頃 米の相場はどの位で有るとというと

米三升が約二百文位であったという 

一般に 飢饉の時の布施米は 一人あたり 二合か三合ぐらいが相場であった 

三千両も盗み出すと 何人ぐらいの人が救えるかというと、約三万七千人ほどの人が、

教えることになる、たいへんな金額である。

講談の世界の事とはいっても 大光院に三千両もの大金が常に有るとは考えられないのである。

講釈師は、話が大きいほど面白い訳である。

                                  続く



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