前回の記載は、処刑に立会い、あるいは支配するために大戸に
向う御出役(註、関東取締出没のこと)の日程がまず記されている。
十二月十四日高崎泊、十五日板鼻泊、十六日は草津街道に入り
三ノ倉泊。この三ノ倉から、獄多小頭の手紙が十六日夜十時大戸に届き、
それによると十七日の昼食から大戸の宿で出すことが認めてあった。
早速に買物に使を出して待つうち、十七日に到着した。
惣右衛門が才蔵を供にし、羽織を着て脇差をさして大沢の
土橋の所まで出迎えた。
岩鼻代官林部善太左衛門手代安木波平(別書には秋汲平)、
浅草の頭も到着し処刑場を検分した。八州取締出役から
代官手代の宿に案内せよというので、加部安左衛門の書院に
案内した。また頭の出没が大戸の関所へ参るというので
案内し手代は才蔵方へ案内した。こうして立会いの役人は全て
宿に落着いた。其れから処刑場各所の設備に取り係った。
続く
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