アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾六午年 其の弐 処刑の解釈

2014年01月29日 | 近世の歴史の裏側

 

 其れにしても忠治の最期のセリフがふるっている。

死を恐れるどころか、むしろ悦ぶ如く態度である。

逮捕入牢以来、全身全霊で罪を償うことに懸けてきた、忠治の安堵の気持ちの

表れとも知れないが、本当であったのか確信が私はもてない

 絶命に至るまでの槍数は、『赤城録』一四度、梅木宿惣左衛門一三度と一度の誤差はあるが、

孰れにせよ、強靭なる生命力である。一槍終わるごとに目を開く傑柱の忠治に、観衆は驚きの

声をあげ、恐怖にとらわれたが、深い沈黙のうちに、それが強い感動に変わっていったのか、


以上の様を、後に様々に解釈し尾鰭が加わり忠治がやがて、

任侠道の英雄に変わっていったのであるが、庶民の願望かも知れない、


                    次回に続く



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