写真のモデルの人達
三角寛は『サンカ社会の研究』につづいて『サンカの社会資料編』を公刊している(昭和四十六年、
母念寺出版。平成十三年に現代書館から復刻版)。
資料編には「全国サンカ分布図」と銘打った祈り込みの多色刷り地図や、「サンカ用語解説集」「サンカ薬用・
食用植物一覧」というのが付されているが、あとは殆ど前者で触れている事ばかりで、内容は意外に乏しい。
ただ『研究』にはないものも含めて写真百二枚(ほかに「サンカ文字」の写真が八枚)が冒頭に、
一括して載せられ、それぞれに番号付きの見出しと、『研究』より詳細な説明を加えている。
『資料編』の「三角寛撮影並解説 サンカの生態記録写真集」の序には次のように記されている。
サンカは、三角寛学位論文『サンカ社会の研究』に縷述せるごとく、自分たちの生活慣行を絶
対秘密にし、外部に洩れることを極度にきらっている。したがって、写真撮影などは以ての外の
禁忌として拒絶する。
しかしながら、現在の時点において、これを記録印象しておかねば永久消滅となるので、説得
に説得、ようやく承諾を得て、ここに十四年間機会のあるたびに撮り溜めた全十五巻「四季のサ
ンカ」の三十五ミリ記録映画を得た。この写真は、その三角寛撮影の映画よりコマ撮りしたものである。
ただし、その中には、三角も記しているように一枚撮りの写真も含まれている。
これらの写真で被写体となっている人たちが、だれなのかということである。
わたしは主要な登場人物については、凡そ名前を特定できたが、
その作業が可能になったのは斎藤登(仮名)との邂迢によるところが大きい。斎藤は、松島ヒロの死を
慈眼寺の住職夫人に伝えた菊恵(故人)の夫である。
続く
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