
寿筳を開き大いに賓客を招く、親王大臣公侯爵より親族旧藩士等に至る饗燕四月亘驩を
盡して罷む。五月十九日公晨に大森射的に赴き俄かに手指の麻輝を覚え、左右扶接
して帰る。翌日寅の刻薨ず、越えて五日白銀興禅寺に葬る。遺命により神式を用う、
元山内氏土佐守豊資の女を配す。継いで松平氏、鈴木氏を娶る。長子茂憲嗣ぎ元老院
議官となる。次に男女若干人なり。公人となり英亘毅、難に臨み動かず、人を知り能く
任す、容貌は厳正にて語言は寡(黙)なり、夙に心を海防に畫し時勢を洞察し諸藩に
先んじて砲煩を鋳(造)す更に軍政を革め、専ら洋式繰練を行う。衆謗りて泪碍す。
つづく
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