2週間ほど前からTwitterを始めましたが、そこで見る保守派論客たちの異様なほどの片意地ぶりにガッカリした。普段はまともな論陣を張っている保守論客が、現実主義と冷静さ、客観性を見失って、何が何でも五輪開催だと叫んでいるのを見ることになろうとは。
肝心な点は、その原因や責任の追及はさておいて、日本の医療現場がコロナ感染の拡がりのなかで窮迫状況にあり、五輪の開催がそれを一層危機的に追い込む可能性が強いという点にある。何故そうなのかと言えば、五輪開催に合わせて海外から流入する数万人の関係者たちの防疫を完全にやり遂げる意思と能力が日本の当局に備わっていると期待するだけの客観的根拠を見つけられないからである。
不思議なことに、五輪保守派の主張にはこの肝心の点が抜け落ちているように見える。
目を外に転じて見れば、隣国の共産党主席習近平が、五輪開催の強行によって日本の経済と社会がさらにズタズタに疲弊するのを、舌なめずりして眺めていることを保守派論客は思い起こすべきではないのか。
肝心な点は、その原因や責任の追及はさておいて、日本の医療現場がコロナ感染の拡がりのなかで窮迫状況にあり、五輪の開催がそれを一層危機的に追い込む可能性が強いという点にある。何故そうなのかと言えば、五輪開催に合わせて海外から流入する数万人の関係者たちの防疫を完全にやり遂げる意思と能力が日本の当局に備わっていると期待するだけの客観的根拠を見つけられないからである。
不思議なことに、五輪保守派の主張にはこの肝心の点が抜け落ちているように見える。
目を外に転じて見れば、隣国の共産党主席習近平が、五輪開催の強行によって日本の経済と社会がさらにズタズタに疲弊するのを、舌なめずりして眺めていることを保守派論客は思い起こすべきではないのか。