前記事にも関連するが、
今日、またしてもムムムッと思うことがあった。
私は下手の横好きでバレエのレッスンを受けているが、そのクラスでのこと。
ストレッチタイムで各々が体をほぐしている時、
ある年配の方が隣の人に、「ねえ、ねえ、断捨離って知ってる?」と聞いた。
思わぬ所で飛び出した思わぬ言葉。
耳をダンボにしていると、
「とにかく、なんでも捨てるんだって。」と聞き捨てならぬセリフ。
「知人が断捨離してるんだけど、
その人、写真まで捨ててんよ!」(←金沢弁)
「え~~~っ、信じられん
写真なんて、そんな大切なもの、よう捨てんわ。」
「そんなに捨てて、どうするん?気が知れんし。」
嗚呼、またか…。
違います、違いますってば!
断捨離はトータルで正しく理解してくださ~~~い。
お稽古仲間は、私がセミナーを主催したことは知らない。
レッスンの途中だったし、
ほんの1~2分で正しく説明する自信もないし、
私は悶々としながらも、黙してストレッチに専念した。
過不足なく、断捨離を説明することは、本当に難しい。
断捨離は、ただ捨てまくる片づけ術ではなく、
捨てる行為を通して、
よりごきげんで、よりハッピーになる、いわば生き方そのものだ。
目に見える“捨てる”行為は分かり易いが、
目に見えない心の片づけは、
しっかりした説明を受けて、なおかつ自分で体験しないと、
なかなか理解できない。
だって断捨離はとっても深いから。
ひでこ先生の新刊を読むと、
断捨離が日々進化しているのが分かる。
ただでさえ深いのに、厚みを増し、どんどん幅を広げている。
そんな断捨離を、どうやったら正しく伝えられるのかな…。
断捨離に出会って、私は変わった。
家の中もきれいになってきたが、
同時に心の中のガラクタもなくなって、
気持ちが軽くて自由になった。
他人の評価がほとんど気にならないし、
やってみたいと思うことは、臆することなく挑戦できるようになった。
『私らしく』…って具体的にはどういうことなのか、ずっと分からなかったが、
こんな感じじゃないのかな…という程度には、見えてきたようにも思う。
自分を受け入れるに従って、
子供のありのままも受け入れられるようになった。
こういうことを伝えたい
あれを捨てた、これを捨てた…の部分よりも、
捨てる行為を通して、私になにが起こったのかを伝えたい。
断捨離で変わったのは、私だけじゃない。
大きな転機が訪れたり、
これまでの観念がひっくり返るような気づきを得たり、
背負ってきた重荷を捨てて、自由になったり、
見失っていた自分を取り戻したり、
断捨離で人生が変わった実例を、いくつも見聞きしている。
道半ばであろうと、ごきげん街道ばく進中であろうと、
断捨離はダンシャリアンやダンシャラーに爽やかな変化をもたらしている。
たとえばセミナー後に、こんなメールを下さった方がいる。
『片づけるはなから、家族が散らかす・・・の件
私も、今8才の息子にてこずっていましたが、
やました先生の、「モノの通り道」の話をしたところ
翌日、実行しました。断捨離を・・!
ほんの少しでも、片づけたときはすぐ褒めて、
「片づけてくれてありがとう。助かるわ。」
と必ず伝えるようにしてから、息子は変わりました。
こども部屋は散らかしっぱの時が多いですが、あえて私は片付けません。
彼が不快に感じるタイミングと、私のそれとは違うから
自分で気づいて片づけるまで、今はなるべく干渉するのを我慢しています。。
そのかわり、私がが片づけをして家事を楽しそうにしていると、
子どもも、たまに片づけるようになりました。。。
やました先生のおっしやる「他者に期待しない」ということは
こういうことなのかな・・と実感しています。』
彼女の理解は深いと思う。
セミナーを受けて、学んだことを、すぐに実践した。
それもただ断捨離をしたのではなく、
実に上手に息子さんに伝えている。
自分の姿を見せ、口うるさく言わず、相手の心が動くのじっと待つ・・・、
親として、なんと賢く、また天晴れな姿勢だろうか。
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親子だからできたという側面もあるだろうが、
私も彼女のように、上手に伝えられるようになりたいものだ。
片づいた住まいで、毎日ごきげんで暮らす、
そんな日常を確立できれば、おのずと説得力も増すというもの。
ゴールは遠そうだけど…、絶対、諦めない