他人のモノを勝手に捨ててはいけない。
これは断捨離の鉄則だ。
断捨離を始めて間もない頃、
私はこの掟を破り、家族のモノにも手を出していた。
だって~~~~~、自分のモノより、人のモノのほうが捨てやすいから
たとえ使っていなくても、自分が手に入れ、ずっと溜め込んできたモノ達には、
なんらかの執着が絡み付いていて、
要る・要らないの判断をするのは、とてもしんどかった。
しかし家族のモノならば、
たいした執着もないから、潔くズバズバ捨てられる。
どんどん膨らんでいくゴミ袋を見ると、心が躍った。
確かに誰が見ても絶対に要らないモノは、存在する。
小さくなって着られない子供服。
前の学年の教科書やプリント類。
穴の開いたシューズ。
何年も前に卒業したカードゲーム。
カペカペになって皮が剥がれ落ちた、大学時代のスパイク。(30年モノ)
卒論の資料。
前の職場で揃えた、野球ユニフォーム一式。
年代物のとてつもなく旧型のスキー板。
以下省略。
これら家族の不要物は、
断捨離を始めた私にとって、格好の獲物だった。
ほとんど何の罪悪感もなく、
どんどん捨てられて、空間も気持ちもすっきりする。
だ・け・ど!
ひでこ先生は、
たとえ家族と言えど、他人のモノに手を出してはいけない!と仰った
子供がまだ幼くて、すべてのモノが親の管理下にあるならば、
代理で断捨離するのも、まあいいだろう。
だけど、10代の子供は、もう半分大人、
すでに自我が目覚めている相手に対し、
その私物を勝手に処分するのは、よろしくない。
また家の片づけに何の関心もない夫にしても、
大学の部活で使っていた黄ばんだウェアに、
私には理解不能なノスタルジーを抱いているかもしれない。
もし自分のモノが誰かに勝手に捨てられたとしたら…、
なんだか自分がないがしろにされているような、
自分が捨てられるような、
嫌~~~な気分になるはずだ。
だから断捨離は、自分でする。
人のモノに手を出さなくても、
断捨るべきモノは、家の中にいっぱいある。
判断するのが辛かろうが、まず目を向けるのは、自分のモノだ。
主婦の場合は、食器や調理器具や家財等も、
自分の裁量で処分を決められるので、
該当物は膨大な量になるはずだ。
そうやって、自分に軸を据えていれば、
予想外の素敵な変化が訪れる(…こともある)。
断捨離セミナーの受講生さんから、こんなメールをいただいた。
『また皆さんとお会いできることを楽しみに、
今は少しずつ、母と二人でダンシャリに励んでおります。
やはり、二人だと、ダンシャリの楽しさも倍増するようです。
ワイワイ言いながら、ストレス解消になってます。
先日の不燃物の日には、ゴミ袋10袋以上出しました(^O)=3
まだまだ、リサイクルショップ行きの本や雑貨なども控えているので、
早々に持って行きたいと考えています。
最近、モノを溜め込むタイプの父が、
ほんの少しずつですが、モノを手放してきています。
父の怒りにふれないよう、隠れてこっそりダンシャリをしていたのですが、
きっと私達の波動が伝わったのだと思います。
母と二人でニンマリしています(#^.^#)』
またこんなメールも。
『セミナーの後も、ちょっとづつですが
「捨てればいいんだ」と思って、色々とごみ袋にいれています。
が、面白い事に...
私の断捨離は進まないのに、
普段から家の中をきれいにしている友達が
私の話しを聞いて、ドンドン捨て出しました。
スイッチが入っている人って、こうなのね~なんて思っています。』
さらにはこんなコメント。
『やました先生が長年培った「断捨離」を
自分のあり方、暮らしの変化を通じて
断捨離の整合性を、私なりに伝えられたらいいな・・と思います。
今のところ友人など、自分の周りへの影響がすごいです。
ほんの少し伝えただけで、即実行!
しかも、先生がお伝えしたポイントをしっかり押さえているので、
ただただ驚くばかりです☆』
すごいね
受講生さん達が断捨離する姿に感化されて、
家族や友人が自分のモノを自分で処分し始める。
そう、モノの要・不要は、所有者本人にしか判断できない。
自分のモノを自分の手で。
これがあるべき姿なんだと思う。
家族が、各々の私物を自分で断捨離する、
私にもいつの日か、こんな幸運が訪れることを願いつつ、
今日も粛々と自分のモノと向き合おうっと。
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