80年代のアイドル全盛期のなかで一番輝いてみえたのが中森明菜であった。音楽など興味も無かった頃、たまたまテレビで歌っていた彼女に釘付けになったことを今でも覚えている。胸に衝撃が走った、いわゆる一目惚れだ・・。
3枚目のシングル「セカンド・ラブ」からファンになってからというもの、色々な明菜グッズをお小遣いの範囲内で買いあさっていた。駅前の花屋さんを今でも懐かしく思う。
その後の活躍も応援していたが、世間では変人と思われている人がいただろう。
近藤真彦と共演した、「愛・旅立ち」はもちろん劇場に見に行ったが感動などなくて、むしろマッチに嫉妬心を抱いたほどだった。
高校生の頃、彼女のコンサートへ行きたくて親に相談したら、問答無用で却下された。
それもそのはず、学校を休んで行こうとしたからだ・・。あの頑固親父が許す訳がないと今になって思う。しかし当時は、悔しくて部屋で泣いてたほどだ。
親父の言い分は こうだった、「全ての人に仕事がある、おまえは学校に行くのが仕事だ。」と・・。
皆勤賞の親父には返す言葉がない。
今は、その反動でさまざまなコンサートに行っている。スタジアムクラスからライブハウスまで、ほとんど洋楽のアーティストである。しかし未だもって彼女のコンサートには足を運んでいない・・。オレも大人になったのだろう。
3枚目のシングル「セカンド・ラブ」からファンになってからというもの、色々な明菜グッズをお小遣いの範囲内で買いあさっていた。駅前の花屋さんを今でも懐かしく思う。
その後の活躍も応援していたが、世間では変人と思われている人がいただろう。
近藤真彦と共演した、「愛・旅立ち」はもちろん劇場に見に行ったが感動などなくて、むしろマッチに嫉妬心を抱いたほどだった。
高校生の頃、彼女のコンサートへ行きたくて親に相談したら、問答無用で却下された。
それもそのはず、学校を休んで行こうとしたからだ・・。あの頑固親父が許す訳がないと今になって思う。しかし当時は、悔しくて部屋で泣いてたほどだ。
親父の言い分は こうだった、「全ての人に仕事がある、おまえは学校に行くのが仕事だ。」と・・。
皆勤賞の親父には返す言葉がない。
今は、その反動でさまざまなコンサートに行っている。スタジアムクラスからライブハウスまで、ほとんど洋楽のアーティストである。しかし未だもって彼女のコンサートには足を運んでいない・・。オレも大人になったのだろう。
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