生け花 と 旧片山家住宅
備中吹屋
応援のクリックをお願いします
にほんブログ村
ありがとうございましたペコッ
片山家は、
宝歴9年(1759)の創業以来、
200年余りにわたって、吹屋ベンガラの製造・販売を手がけた老舗です。
その家屋はベンガラ屋としての店構えを残す主屋とともに
ベンガラ製造にかかる付属屋が立ち並ぶ「近世ベンガラ商 . . . 本文を読む
今日の 港水門 解体始まる
倉敷市玉島
今日も港水門に解体状況を見に行ってきました。
ポンプ小屋の瓦の除去工事が始まっていた。
中にポンプが入っているので
重機による解体はせず、人力解体をしているそうです。
小屋の解体に引き続き水門本体解体に入るが、
川の中に足場を作る工事から始める
応援のクリックをお願いします
& . . . 本文を読む
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の
港水門 お別れの会
倉敷市玉島
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の読売新聞社など製作)のロケにも使われた
倉敷市玉島の「港水門」が、年内に取り壊されることになった。
地元の商店主らでつくる「玉島みなと若旦那会」(10人、別所美治会長)は26日、
「お別れの会」を開き、消えゆく港のシンボルに名残を . . . 本文を読む
むかし 下津井 回船問屋
関連ブログ
下津井みなと は 良い港
下津井の 街角で エプロンを売る ...:*☆★
下津井(港地区)の街並み TEL倉敷市教育委員会文化財保護課086-426-3851
下津井は瀬戸内海に面し、非常に歴史の古い港町であるが、
本格的な港町として栄えたのは江戸時代の中期以降からで、
内 . . . 本文を読む
海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)
広島県江田島市
1876年(明治9年) - 1945年(昭和20年)
明治から昭和の太平洋戦争終戦まで存続した
大日本帝国海軍の海軍将校の養成を目的とした教育機関である。
宜しければポチっと応援を・・
にほんブログ村
ありがとうございましたペコッ
. . . 本文を読む
石油発動機 と 出雲街道・勝山の街
関連ブログ
吹屋の街並み
古くは出雲街道の要衝として繁栄。
土蔵はもちろん、白壁や格子窓の古い町並みが残ることから、
昭和60年に岡山県発となる「町並み保存地区」に指定。
昔ながらの酒蔵に、旧家、武家屋敷といったノスタルジックな建物に加え、
古民家、蔵などを活用した工房、カフェ、ギャラリーなどが軒を連ね、
歩くだけでも . . . 本文を読む
藤戸の戦いで渡海する佐々木盛綱(歌川国芳画) ウィキペディアより
源平 藤戸合戦 の地
1184(寿永3)年倉敷が海だった頃
市内有城と対岸の藤戸との間にあった海峡をはさんで源平合戦がありました
寿永3年2月7日(1184年3月20日)の一ノ谷の戦いで敗れた平氏は西へ逃れた。
平家を攻めてここまで来た源氏軍の佐々木盛綱は
ひそかに漁師から海の浅い所を教え . . . 本文を読む
下津井の街角でエプロンを売る
下津井の街を自転車で走ってみました。
私が知っていた頃に比べると
新築住宅が増えて、様変わりしてましたね~。
手造りのエプロンを売っていたおばあちゃんと
お話をする事ができました。
去年までご主人が取って来るタコを干していたそうですが
ご主人が亡くなって
今年からエプロンを吊っていると笑う。
&rdqu . . . 本文を読む
津山市城東町並み保存地区
出雲街道の要衝で、江戸時代は城下町として栄えた。
慶長8年(1608年)、津山に入った初代藩主・森忠政は13年をかけて津山城を築き、
城の南、西、北側に武家町を配置、城の東側には町人町を配した。
この城東地区を中心に、今も古い町屋や武家屋敷、寺町などが保存されている。
にほんブログ村
クリックをお願いします
街並み . . . 本文を読む
脇本陣 (旧矢掛 脇本陣 高草家住宅)
( わ き ほ ん じ ん た か く さ け )
地図 http://g.co/maps/fzbp6
矢掛町は、参勤交代の頃、西国街道の第18番目の宿場町として栄え、
産業、交通、文化の中心地として発展してきました。
本陣、脇本陣と旅籠、茶屋など多 . . . 本文を読む
戸田家の蔵(新見市熊谷)
新見から美咲町に向かう途中、大きな蔵が目に入った。
通り過ぎてしまったが、
気になって引き返し尋ねました。
ご主人によりますと、
新見藩初代藩主・関長政が
戸田家(庄屋)の湯殿(冷泉が出ていた)に入るため来ていたそうです。
参勤交代の品々や槍などの文化財も多かったです。
それに
殿様が休まれていた角部屋からみる庭は実に見事 . . . 本文を読む
国内最古の木造校舎で卒業式と閉校式 高梁・吹屋小学校
画像上をクリックしてごらんください。
にほんブログ村
クリックをお願いします
現存する国内最古の木造校舎がある岡山県高梁市立吹屋小学校で20日、
最後の卒業式と閉校式が行われた。
過疎化による児童の減少で廃校の運命となった学舎。
ここから巣立った卒業生らも大勢 . . . 本文を読む
重要文化財
旧 野崎家住宅 (倉敷市児島)
画像上をクリックしてご覧ください
にほんブログ村
クリックをお願いします
塩田王と呼ばれた。
野崎家は製塩業と新田開発で財を成した野崎武左衛門が
その気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々に築いていった民家である
敷地面積3000坪、建物延床面積1000坪近くある
長屋門を入ると
. . . 本文を読む
倉敷美観地区の南西にある向山から美観地区を眺めてみました。
手前に見えるのが美観地区周辺
工場の屋根がクラボーの工場(旧倉敷紡績)、今は倉敷アイビースクエアー(ホテルほか)
江戸時代には 後方に見える山が高梁川の河口
倉敷の街は全部埋立地です。
近くには源平合戦があった藤戸と言う街並みもある。
倉敷川のあるところが美観地区です。
. . . 本文を読む
近世以来、矢掛は山陽道の宿場町として、
また小田川を往来する高瀬舟の川港としても栄え、
陸と川の交通の要衝、物資の集散地となりました。
街道筋に発達した矢掛の町家は低地にあるため、小田川の氾濫による町家の浸水と
田畑の被害に悩まされ続け、小田川の増水を監視するため、
本陣・石井 . . . 本文を読む