2012年5月9日(水)
ダンスサークルの休み時間に、Pさんに、昨日のエッセイサークルで
合評したエッセイの話をした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「新聞紙」
チャイムが鳴りインターフォンに出ると、画面の人影が、「本郷(仮名)です」
と、言う。珍しい方がみえた。何か用事でもあるのかしら。少し訝しく思いつつ門扉を
挟んで顔を合わせ、「久しぶりね」と挨拶をすると、
「そうねえ。なんか今日はだいぶ暖かいわねえ。……最近は、お子さんたちは、どう?」
という話の流れになった。
本郷さんは、二男の同級生のお母さんで、子供たちが幼稚園から小学校くらいの頃に
一緒にテニスをやった仲間だ。あれからずいぶんたってしまったが、たまにスーパーで
行き会うと、子供達の近況を聞かれ、
「娘は結婚したけれど、二男がまだ一人身で」
と、少しおしゃべりをする関係が続いている。そこで、いつものように、
「二男が仕事ばかりで、それはそれでやきもきするわ」
という話をすると、彼女も、
「うちも娘が一人、まだ家に残っていてねえ」
と、ゆっくり頷く。
〈陽気に誘われてお散歩に出て、丁度通りかかったのでご挨拶にピンポンしたのかな?〉
と、思い始めた頃、彼女が、バッグから新聞をすっと取り出した。
「これ、良かったら、読んでみてね」
差し出されたのは、宗教新聞だった。
二、三年前だったか、スーパーで立ち話をした時にも、その新聞を、
「今、こういうことをやっているのよ」
と、さらりと見せられた。テニスを続けている彼女は、細身で上背があり、日に
焼けた顔。いかにもスポーツウーマンという姿と手にした宗教新聞は、私には
ミスマッチのように受け取れたが、彼女は、
「こういうのを読むと、とても心が慰められるのよねえ」
と、呟いた。
〈彼女もなんやかんや抱えているのかもね。昔はそんな感じじゃなかったけれど、
今、信仰で彼女が心安らかに過ごせるなら、それでいいんだろうな〉
と、私は、彼女のテリトリーの話とやり過ごしたことがあった。
「新聞を配るのも、ノルマとかあるのかなあ」
ぼんやりと思いながら、私は当たり障り無くその新聞を受け取ってしまった。
本郷さんは、顔を門柱の脇のクリスマスローズに向けて、
「もう咲き出したのね。可愛いねえ」
と言い出し、わたしもつられて、臙脂色のみずみずしいクリスマスローズを一緒に
眺めた。
新聞を手に居間に戻ったが、気が重い。新聞一つ分、本郷さんにじわっと
踏み込まれた気がする。私はいわゆる葬式仏教徒で、初詣には神社に行くし、
子供たちが小さい頃はクリスマスのお祝いもしていた。いや、夫が亡くなった折りに、
お寺にお墓を買ったから、そこの檀家になった……のか?そんな曖昧な自覚の
まま、毎朝、夫の仏壇に、
「あの子を宜しくお願いします」
「この子を見守ってください」
「恙無く過ごせますよう、私をお守りください」
と、手を合わせているのが、私の宗教との繋がりなのだ。
しかし、本郷さんに、
「九ページに良いお話が書いてあるから、読んでね」
と、念まで押された新聞だしと、私は、紙面を開いた。そして、さ~っと、
大きな見出しに目を走らせる。九ページ目の背広姿の教祖の大きな写真も一瞥した。
よし、これで義理は果たせた、これ以上は無理と心の妥協点を見つけたけれど、
〈率直に新聞を受け取らないほうが、本郷さんに本当に向き合うことなのではないか〉
との思いもひんやりと胸を過ぎっていった。
用を終えて畳んだ新聞は、私の掌の中で、〈新聞紙〉という物体になった気がした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Pさんは、
「私だったら、いらないわって、一言で断るわよ」
と、言う。
そう言えないから、小心者はいろいろあるのよ・・。
合評会では、
「私なら、お友達でいたいから、こういうことは無しね」
って、言うわという方・・。
「頂いても、粗末にしてしまいそうだから、必要な方にあげてね」
って言うのよという方・・。
どの答え方も勉強になります・・。
Pさんからは、お仲間にそう言われたってことで、エッセイがもうひとつ
出来るよと・・。
なるほど~・・。それが一番貴重なアドバイスだったよ♪(^^)
ダンスサークルの休み時間に、Pさんに、昨日のエッセイサークルで
合評したエッセイの話をした。
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「新聞紙」
チャイムが鳴りインターフォンに出ると、画面の人影が、「本郷(仮名)です」
と、言う。珍しい方がみえた。何か用事でもあるのかしら。少し訝しく思いつつ門扉を
挟んで顔を合わせ、「久しぶりね」と挨拶をすると、
「そうねえ。なんか今日はだいぶ暖かいわねえ。……最近は、お子さんたちは、どう?」
という話の流れになった。
本郷さんは、二男の同級生のお母さんで、子供たちが幼稚園から小学校くらいの頃に
一緒にテニスをやった仲間だ。あれからずいぶんたってしまったが、たまにスーパーで
行き会うと、子供達の近況を聞かれ、
「娘は結婚したけれど、二男がまだ一人身で」
と、少しおしゃべりをする関係が続いている。そこで、いつものように、
「二男が仕事ばかりで、それはそれでやきもきするわ」
という話をすると、彼女も、
「うちも娘が一人、まだ家に残っていてねえ」
と、ゆっくり頷く。
〈陽気に誘われてお散歩に出て、丁度通りかかったのでご挨拶にピンポンしたのかな?〉
と、思い始めた頃、彼女が、バッグから新聞をすっと取り出した。
「これ、良かったら、読んでみてね」
差し出されたのは、宗教新聞だった。
二、三年前だったか、スーパーで立ち話をした時にも、その新聞を、
「今、こういうことをやっているのよ」
と、さらりと見せられた。テニスを続けている彼女は、細身で上背があり、日に
焼けた顔。いかにもスポーツウーマンという姿と手にした宗教新聞は、私には
ミスマッチのように受け取れたが、彼女は、
「こういうのを読むと、とても心が慰められるのよねえ」
と、呟いた。
〈彼女もなんやかんや抱えているのかもね。昔はそんな感じじゃなかったけれど、
今、信仰で彼女が心安らかに過ごせるなら、それでいいんだろうな〉
と、私は、彼女のテリトリーの話とやり過ごしたことがあった。
「新聞を配るのも、ノルマとかあるのかなあ」
ぼんやりと思いながら、私は当たり障り無くその新聞を受け取ってしまった。
本郷さんは、顔を門柱の脇のクリスマスローズに向けて、
「もう咲き出したのね。可愛いねえ」
と言い出し、わたしもつられて、臙脂色のみずみずしいクリスマスローズを一緒に
眺めた。
新聞を手に居間に戻ったが、気が重い。新聞一つ分、本郷さんにじわっと
踏み込まれた気がする。私はいわゆる葬式仏教徒で、初詣には神社に行くし、
子供たちが小さい頃はクリスマスのお祝いもしていた。いや、夫が亡くなった折りに、
お寺にお墓を買ったから、そこの檀家になった……のか?そんな曖昧な自覚の
まま、毎朝、夫の仏壇に、
「あの子を宜しくお願いします」
「この子を見守ってください」
「恙無く過ごせますよう、私をお守りください」
と、手を合わせているのが、私の宗教との繋がりなのだ。
しかし、本郷さんに、
「九ページに良いお話が書いてあるから、読んでね」
と、念まで押された新聞だしと、私は、紙面を開いた。そして、さ~っと、
大きな見出しに目を走らせる。九ページ目の背広姿の教祖の大きな写真も一瞥した。
よし、これで義理は果たせた、これ以上は無理と心の妥協点を見つけたけれど、
〈率直に新聞を受け取らないほうが、本郷さんに本当に向き合うことなのではないか〉
との思いもひんやりと胸を過ぎっていった。
用を終えて畳んだ新聞は、私の掌の中で、〈新聞紙〉という物体になった気がした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Pさんは、
「私だったら、いらないわって、一言で断るわよ」
と、言う。
そう言えないから、小心者はいろいろあるのよ・・。
合評会では、
「私なら、お友達でいたいから、こういうことは無しね」
って、言うわという方・・。
「頂いても、粗末にしてしまいそうだから、必要な方にあげてね」
って言うのよという方・・。
どの答え方も勉強になります・・。
Pさんからは、お仲間にそう言われたってことで、エッセイがもうひとつ
出来るよと・・。
なるほど~・・。それが一番貴重なアドバイスだったよ♪(^^)