ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「ポチの死 その後」

2012-05-22 | エッセイ
2012年5月22日(火)

今日は、文芸誌の合評会。今日のウィステの作品は、
「ポチの死 その後」
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 隣の市との境の近く、畑と雑木林に挟まれてペット霊園はあった。十畳ほどの
礼拝堂にはご本尊も安置されている。初老の男性職員がその前の台の上にポチを
寝かせ、私は、テープで流れるお経の中、ポチにお線香をあげた。
「最後の挨拶をしてあげてください」
という言葉に、少し口を開け、目を見開いたままのポチの頭をそっと撫でてやったが、
温かく柔らかかったポチの体は、既に冷たく固い。
「良い子でしたか?」と聞かれ、「良い子でしたよ……」と、答えると、一昨日まで
私の布団の上で、寝やすい場所を探し動き回っていたポチの感触が蘇る。
 父の死後に引き取って二年半、私の暮らしの中にいたポチ……と、待合室で思い出し
ている間に、ポチは焼きあがってきた。人間の場合と比べなんと早いことか。
ポメラニアンの老犬一匹の骨は、ほんの一握りだった。その中から、職員は、
「これが頭蓋骨です。これが喉仏です」と、小さな骨を示し、別に置いた。夫や父の
時と同じように……。続いて、
「お骨を上げてやって下さい」と、箸を差し出した。夫や父は、子、孫、親族で
交代に遺骨を上げた。幾たりもの血縁で送ることが、死者への餞と感じたのだが、
今ポチに立ち会うのは私一人だ。ポチが死んだことは子供達に電話した。
「残念だったね」「可哀想だったね」と言ってくれたが、仕事に学校に忙しい子や
孫にわざわざお別れに来てとは思わなかった。ポチの家族だった私一人で送って
やろう。私は、職員とともにポチの骨を拾いあげ、両掌で包めそうなほどの骨壷に
入れていった。彼は、最後にポチの喉仏と頭蓋骨を骨の一番上に乗せ、蓋を閉じた。
 家に持ち帰ったポチの骨壷は、夫の仏壇の傍らに置いた。小さな骨壷を納めた紙の
箱には、ひまわりのシールが貼ってあり、花の中央には、
「楽しい時をありがとう」
と、印刷されている。私は、毎朝、夫の仏壇にお参りする度にその言葉を眺め、
そして、居間に戻ると、ソファーのポチのお気に入りの場所に目をやってしまうが、
私に身を寄せてズボンが湿るまで舐めてくれたポチはもういない。夫を送り、父も
送った。今、ポチの息吹も消え、また一人暮らしの家の中がしんと静まった。
 七月に入り、今度のお盆はポチの新盆と気づく。そろそろ、
〈ポチが一週間後の大震災にあっていたら、私も外出中だったし、どんなに怯えた
だろう。きっと吼えまくったり、居間を駆け回ったり……。かえって、怖い思いを
せずに良かった〉
と思えるようになっており、お盆の前にポチの納骨をしなくてはと、気持ちの区切り
もついてきた。
 出掛けに、骨壷を持って今は空き家になっている父の家に行き、長年ポチを
友として暮らした父の遺影にポチからの最後の挨拶をさせた。
 ペット霊園の受付の女性に共同墓の申し込みをすると、奥から男性が出てきて
骨壷を受け取り、庭の観音像のほうに案内してくれた。見上げるように大きな銅色の
その観音像が共同墓になっているようで花が沢山供えられ、像の足元には、犬と猫の
人形が置かれていた。花入れに持参した花束を供え、共同墓はいつも誰かがお参り
してくれるから寂しくないよと、ポチと自分に言い聞かせた。像の裏手に回った職員
が、屈み込んで石の蓋を持ち上げると、その下が納骨所になっていて、白く細かい骨が
絡み合うようにぎっしりと詰まっていた。いったい何匹の犬や猫の骨だろうと、私も、
恐々と中を覗き込んだ。無数の骨は、温かい毛皮や思い出を捨て、ドライにきっぱりと
人間たちに別れを告げているようだった。彼は、ポチの骨壷を開け、骨の一番上に
乗っているポチの頭蓋骨や喉仏の骨などを脇の包み紙の上に置いた。それから骨壷を
逆さまにし、脚の骨なのか肋骨なのか、細長い骨々を下の穴に落とした。その上に
取り分けておいたポチの頭蓋骨や喉仏を落としたのだった。
「頭が上、脚が下と順番を守っているんだ」とその手順に死んだ犬たちへの礼儀を
感じている間にも、ポチの骨は、他の骨に紛れ込んでいった。
 ポチは他の仲間たちと一体となった。
 職員に促され、私はポチとその仲間に手を合わせたが、共同墓地の骨の姿に、ふと、
東京の我が家の墓に納められた夫の骨壷に心が及んだ。菩提寺の墓所は堂内墓で、
その墓の納骨箱の中には、今は夫の骨壷一つが、入っている。いずれ私が入るその箱
には、骨壷が八つまで納まる。夫と見学した際に、「満杯になったら?」と、
聞いてみた。案内してくれた係員の答えは、
「九人目の方が入るとき、一番古い方から合祀墓にお移しして、土に還っていただく
のです」
だった。それは、順当に行けば百年後くらいの話だろうか。百年も子孫に拝んで
もらったらもう充分。私たちは生まれ住んだ東京の土になろうと、夫と目を見合わせて
頷き、私達は合祀に納得したのだった。その具体的な在りようが目の前に繰り広げら
れたのだ。このように骨が絡み合い、土になる前に同じ墓地に眠る縁となった人々と
一体になるのだと示されたようで、私は自分の未来をすとんと受け入れた。ただし、
その時が来たら、夫一人ではなく、おそらく並んで置かれているであろう私の骨も
一緒に合祀墓に移して欲しい。最後の最後に離れ離れは、寂しい。ここの白い骨々が
肉をすっかり落としているように、私達の骨には、夫婦喧嘩の名残りなど取り除かれ、
この世の相棒だったという夫婦の芯の部分だけが残っているはずだ。目の当たりにし
たポチと他の犬たちの骨のように、尖ったそれぞれの骨の先は、互いに絡まり易そう
だ。もしかしたら、晩年は病気がちだった夫の骨のほうが細く女性的で、案外、
私の骨のほうががっしりと男性的かもしれないが、それがどうこうという世俗的な
垢はとっくに剥ぎ取られている筈だ。足を悪くした夫に付き添って歩いたように、
まず私達は互いに掴まり、絡まり、それから辺りの骨々と溶け合い、東京の土と
なっていく……。さらに、私の心には、実家の墓が浮かんだ。私が入ることは無い
その墓に、父が眠っている。父の骨壷はそこから動かされることは無いだろうが、
長い歳月の末に、骨壷の粒子の間を父の骨の分子が零れ落ち、地面に滲みていくこと
もあるだろう。共に土に還って後、夫とも父ともポチとも大地を介して繋がっていく
様を見透せた気がした。
 ただ、合祀を執り行ってくれるであろう曾曾孫に必ず伝わるよう、私の骨壷には、
〈私の子孫の方へ。お手間をとらせますが、夫の骨と同時に合祀墓へ移してください〉
と遺言を貼ってもらうことにしよう。
 石の蓋が再び閉じられて、ポチの骨は暗闇に沈んだ。表側に回ると、夏の強い光の
中、数多の小さな卒塔婆を背に、観音像はどっしりと立っている。私は、改めて
観音様に手を合わせ、ポチの魂がいっさんに走っていって、再び父の腕に抱き取られる
よう、祈った。
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今日の作品の合評は、まあまあだったんだけれど、先生は、
「ウィステさんは最近、どうもタガが緩んでいます。男なら、褌を締めなおせと
言いますが、・・・。とにかく、タガを締めなおして下さい」
とのお言葉・・・。
厳しいというか、最近は、ダンス>エッセイって、バレてるなあ・・。
でも、楽しいし、改心する・・・のも難しいんです。
しばらくは、肩の力を抜いた作品を書いていくので、お見逃し下さいませ・・、
と、先生にテレパシーでお願いしました・・。(^^;)

 

コメント
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