2020年2月10日(月)
朝、外出したら、ゆ~ちゃんたちが行くプールのある建物の前のマンホールから、
水が噴き出していた。その両側のマンホールほど大きくないところからも・・。
噴水のように勢いが良い。
いったい、何が起きたんだ・・?
あの水って、上水だよね・・。
プールの排水じゃないよね・・?
はてなと思いながら、その交差点を通過した。
2時間半後くらいにまた、同じ交差点を通ったら、赤い三角コーンが、置いてあった
から、もう対処は始まっているんだろう。水は、勢いは失ったけれど、まだ、
小さく噴き上げていたけれど・・。
なんだったんだろうね・・?
さて、今日は、それから、一日、家で過ごしたので、今日は、先月、合評した
エッセイを・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「十七回忌」
秋に入ったころ、東京の菩提寺から手紙が来た。夫の十七回忌となるということと、法要の申し込みを
受け付けるというものだった。その手紙を、私は、とりあえず仏壇に上げた。
あれから、もう、十六年も経ったのか……。
十二月末の朝、夫の異変に気付き、額に触れた時の、石のような冷たさ。
彼は、突然、逝ってしまい、私は、こちら側に一人で残されたこと、一家の主は亡くなり、今や私が、
一人暮らしの主として、一人で物事に対処し、生きていかなくてはならないことを受け入れるのに、
三回忌くらいまで、かかったろうか。
心の区切りを促してくれるという意味でも、三回忌という法要は、有難かった。
三回忌、七回忌と、夫の兄弟たちも参列し、夫を懐かしんでくれたが、十三回忌を迎えると、私は、
「もう、そろそろ」という気持ちで、私と子供たちだけで、法要をすることにした。
すでに、高齢で体調を崩している夫の兄弟たちも、「しかたないね」と、受け入れてくれ、菩提寺で、
こじんまりとした法要を上げたのだった。
そして、十七回忌である。
正月、子供たちに、
「今年は、お父さんの十七回忌よ」
と、その話題を出したのは、最近、葬儀の簡略化、つまり、家族葬とか、法要は、三回忌までとか、
身の回りで、見聞きし、時代の変わり様を実感するからだった。私の祖母や母が、
「だれそれさんの三十三回忌を、どうする……」
と、話していた声が、耳の底に残ってはいても、今から、さらに、十六年後となると、私は、いったい、
いくつになっているだろう。いや、私の法要をしてもらっているか、してもらっていないか……という
時の長さになっているだろう。我が家では、法要は、何回忌までと、目印を作っておいたら、子供たちも、
楽かもしれないと、老婆心が、もぞもぞする。もちろん、もっと短くても構いませんが……。
ところが、
「十七回忌という形ではなくて、集まれる人で集まって、お参りし、後は、お食事でも」
という私の考えに対し、娘は、当然、お坊さんにお経をあげてもらう、これまでの法要を続ける気でいた。
子の父に対する思いのほうが、私の夫への思いより深いようで、私は、冷たいかなあと、少し、
たじろいだ。そこで、長男が、
「いや、みんなで集まる良い機会だし。今回から、十七回忌といっても、簡単に、みんなで、一緒に、
お墓参りだけにして、その後、食事会をするようにしよう」
と、新しい家長のように言い、二男も頷いたので、それで、決まりだった。
確かに、正月でも、子供たち三人が来る日が合わず、すれ違いということにもなってきている。
夫のお陰で、みんなで顔を合わせることが出来る。それが、法要の有難さだった。
急ぐことは無いと、十二月まで待って、子供たちにラインで、十七回忌の日にちの都合を問い合わせ、
十五日と決めた。娘が、菩提寺近くのレストランのホームページを伝えてきてくれたので、私は、
それぞれに参加人数を聞いた。
長男からは、「俺のところは、俺、一人で」。
二男は、タイから、当日、戻ってくるという。
娘からは、「パパが夜勤で、難しいから、私と、子供たち二人」と。
みんなと言っても、十三回忌から、嫁さんや高校生、大学生になった長男の所の孫たちは、
参加していない。それぞれ忙しく、「みんな」の範囲も変わってくると思いながら、私は、お店に
予約を入れ、その旨を、子供たちに、
「予約しました。でも、もう、十七回忌だから、喪服でなくても、良いわ」
と、ラインで送ると、すぐ、娘から、
「うちは、いつも、法事の後、遊園地で遊んで帰るから、その方が、助かる」
と、返信があった。
長男の所の孫たちも、小さいころは、帰りの遊園地を楽しみにしていた。
こんな良い立地の墓苑を選んだ夫は、孫たちが、帰りに遊ぶのを楽しみに来てくれるなら、
本望でしょう。
「さすがでございます……」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この合評会の後、1か月だけれど、今、テレビでは、新型コロナウィルスの話題が続き、
世間の雰囲気が、ガラッと変わった。先がどうなるか、不安な思いだけれど、
今年の末のお墓参りの頃には、落ち着いて、東京にお参りに行けますように・・・。
朝、外出したら、ゆ~ちゃんたちが行くプールのある建物の前のマンホールから、
水が噴き出していた。その両側のマンホールほど大きくないところからも・・。
噴水のように勢いが良い。
いったい、何が起きたんだ・・?
あの水って、上水だよね・・。
プールの排水じゃないよね・・?
はてなと思いながら、その交差点を通過した。
2時間半後くらいにまた、同じ交差点を通ったら、赤い三角コーンが、置いてあった
から、もう対処は始まっているんだろう。水は、勢いは失ったけれど、まだ、
小さく噴き上げていたけれど・・。
なんだったんだろうね・・?
さて、今日は、それから、一日、家で過ごしたので、今日は、先月、合評した
エッセイを・・・。
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「十七回忌」
秋に入ったころ、東京の菩提寺から手紙が来た。夫の十七回忌となるということと、法要の申し込みを
受け付けるというものだった。その手紙を、私は、とりあえず仏壇に上げた。
あれから、もう、十六年も経ったのか……。
十二月末の朝、夫の異変に気付き、額に触れた時の、石のような冷たさ。
彼は、突然、逝ってしまい、私は、こちら側に一人で残されたこと、一家の主は亡くなり、今や私が、
一人暮らしの主として、一人で物事に対処し、生きていかなくてはならないことを受け入れるのに、
三回忌くらいまで、かかったろうか。
心の区切りを促してくれるという意味でも、三回忌という法要は、有難かった。
三回忌、七回忌と、夫の兄弟たちも参列し、夫を懐かしんでくれたが、十三回忌を迎えると、私は、
「もう、そろそろ」という気持ちで、私と子供たちだけで、法要をすることにした。
すでに、高齢で体調を崩している夫の兄弟たちも、「しかたないね」と、受け入れてくれ、菩提寺で、
こじんまりとした法要を上げたのだった。
そして、十七回忌である。
正月、子供たちに、
「今年は、お父さんの十七回忌よ」
と、その話題を出したのは、最近、葬儀の簡略化、つまり、家族葬とか、法要は、三回忌までとか、
身の回りで、見聞きし、時代の変わり様を実感するからだった。私の祖母や母が、
「だれそれさんの三十三回忌を、どうする……」
と、話していた声が、耳の底に残ってはいても、今から、さらに、十六年後となると、私は、いったい、
いくつになっているだろう。いや、私の法要をしてもらっているか、してもらっていないか……という
時の長さになっているだろう。我が家では、法要は、何回忌までと、目印を作っておいたら、子供たちも、
楽かもしれないと、老婆心が、もぞもぞする。もちろん、もっと短くても構いませんが……。
ところが、
「十七回忌という形ではなくて、集まれる人で集まって、お参りし、後は、お食事でも」
という私の考えに対し、娘は、当然、お坊さんにお経をあげてもらう、これまでの法要を続ける気でいた。
子の父に対する思いのほうが、私の夫への思いより深いようで、私は、冷たいかなあと、少し、
たじろいだ。そこで、長男が、
「いや、みんなで集まる良い機会だし。今回から、十七回忌といっても、簡単に、みんなで、一緒に、
お墓参りだけにして、その後、食事会をするようにしよう」
と、新しい家長のように言い、二男も頷いたので、それで、決まりだった。
確かに、正月でも、子供たち三人が来る日が合わず、すれ違いということにもなってきている。
夫のお陰で、みんなで顔を合わせることが出来る。それが、法要の有難さだった。
急ぐことは無いと、十二月まで待って、子供たちにラインで、十七回忌の日にちの都合を問い合わせ、
十五日と決めた。娘が、菩提寺近くのレストランのホームページを伝えてきてくれたので、私は、
それぞれに参加人数を聞いた。
長男からは、「俺のところは、俺、一人で」。
二男は、タイから、当日、戻ってくるという。
娘からは、「パパが夜勤で、難しいから、私と、子供たち二人」と。
みんなと言っても、十三回忌から、嫁さんや高校生、大学生になった長男の所の孫たちは、
参加していない。それぞれ忙しく、「みんな」の範囲も変わってくると思いながら、私は、お店に
予約を入れ、その旨を、子供たちに、
「予約しました。でも、もう、十七回忌だから、喪服でなくても、良いわ」
と、ラインで送ると、すぐ、娘から、
「うちは、いつも、法事の後、遊園地で遊んで帰るから、その方が、助かる」
と、返信があった。
長男の所の孫たちも、小さいころは、帰りの遊園地を楽しみにしていた。
こんな良い立地の墓苑を選んだ夫は、孫たちが、帰りに遊ぶのを楽しみに来てくれるなら、
本望でしょう。
「さすがでございます……」
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この合評会の後、1か月だけれど、今、テレビでは、新型コロナウィルスの話題が続き、
世間の雰囲気が、ガラッと変わった。先がどうなるか、不安な思いだけれど、
今年の末のお墓参りの頃には、落ち着いて、東京にお参りに行けますように・・・。