(安中宿2)
旧中山道を下野尻の信号から二つ目の信号の右向こう側にある
理髪店の前に、「安中宿下の木戸跡」の標柱があり。その先に
熊野神社参道の看板がある。
参道を進むと正面に熊野神社の石段が見える。途中左側に
急な登り階段が見え、柏木義円の墓入り口と書いた標柱に出会う。
あとで、すこし寄り道をしてみようと、先に熊野神社に寄る。
熊野神社は安中市の重用指定文化財になっており、
説明によると、
「熊野神社は、明治以前は熊野大権現とよばれていたが、
明治初期の廃仏毀釈により、熊野神社になり近郊の総鎮守となった。
その期限は、永禄二年(1559)安中越中守忠政が安中城を築城した時、
ここに熊野神社を勧請して、安中城の鬼門の守護神としたのが始まりと言われる。
以後安中藩歴代城主が厚く信仰し、また安中城下の総鎮守として
地域住民の尊崇を集めた。――中略――
社殿は、本殿、幣殿、拝殿からなる。
本殿は切妻作り 妻入り桁行三間、梁間二間の大きさで前面に千鳥破風をつけ、
向拝に流れ屋根をつけた春日造り。
この本殿の七面の板羽目に鳳凰らしい鳥を中心に梅、楓などの樹木や
霞様の雲を配した彫刻を施し、
室町時代風で淡雅であり、写実を特色としている。――以下省略」(安中市教育委員会)
神社本殿の右横には、天然記念物になっている千年の大欅が龍のように延び出ている。
また、安中市指定重要文化財になっている、絵師として最高位
法眼を授与された狩野永英知信描く、文久元年(1861)の絵馬が
本殿内に飾ってあったが、覗いてみても暗くて良く見えなかった。
しかし、現代の高性能カメラが見事に映し出してくれたので、
紹介しておきます。